近古文書1 近隣村々との争論

1A 下和田村との薪(たきぎ)場争論
   猿橋村の訴状

  乍恐口上書を以申上候事

一 猿橋村奉願候儀は、先年より下和田山へ入込、薪取来り申候
  処に、当正月廿九日、当村の五郎助と申者、通候を下和田村御百姓
  押取可申由、口論仕候、同二月二日当村御百姓共、薪取参候処
  又候■■大勢にて取合■■、下和田村御百姓、当村の者共へ申候
  様は、へい
りり酉mura  むr o hyakushou 当、〃村の五郎助と申者、通候を下和田村御百姓
  押取可申由口論仕候。押さえり」
左衛門nきゅうの、儀紛
  む御座候、右入込の山、此度俄に被留申候て
  迷惑仕候、猿橋村の儀、往還の内にて、別て御泊り
  の場所に御座候故、朝夕、并足洗場、水風呂等に
  も薪格別多入申候、外に少も薪山無御
  座候間、下和田山被留申候ては、猿橋村御百姓
  困窮仕、家業共に一切相立不申候間、此段
  被分聞召、先規の通、一刻も早入込に
  被為仰付可被下置候、馬草の儀は
  当村山にて取来り申候、此山は勿論、外に一切
  薪山無御座候、若偽り申上、後日に脇より露顕
  仕候はば、如何様の曲事にも可被仰付候、
  為其村中大小の百姓不残連判仕、指上げ
  申候

    正徳二辰年二月
   下和田村の反論

一 猿橋村薪山の儀、先達て御訴訟申上候通
  先規より下和田山へ入込、薪取来り申候儀紛
  む御座候、右入込の山、此度俄に被留申候て
  迷惑仕候、猿橋村の儀、往還の内にて、別て御泊り
  の場所に御座候故、朝夕、并足洗場、水風呂等に
  も薪格別多入申候、外に少も薪山無御
  座候間、下和田山被留申候ては、猿橋村御百姓
  困窮仕、家業共に一切相立不申候間、此段
  被分聞召、先規の通、一刻も早入込に
  被為仰付可被下置候、馬草の儀は
  当村山にて取来り申候、此山は勿論、外に一切
  薪山無御座候、若偽り申上、後日に脇より露顕
  仕候はば、如何様の曲事にも可被仰付候、
  為其村中大小の百姓不残連判仕、指上げ
  申候

    正徳二辰年二月

   結着

    谷村代官所の判決に対する猿橋村請書

      乍恐口上書を以申上候事

一 猿橋村薪山の儀、先達て御訴訟申上候通
  先規より下和田山へ入込、薪取来り申候儀紛
  無御座候、右入込の山、此度俄に被留申候て
  迷惑仕候、猿橋村の儀、往還の内にて、別て御泊り
  の場所に御座候故、朝夕、并足洗場水、風呂等に
  も薪格別多入申候、外に少も薪山無御
  座候間、下和田山被留申候ては、猿橋村御百姓
  困窮仕、家業共に一切相立不申候間、此段
  被分聞召、先規の通、一刻も早入込に
  被為仰付可被下置候、馬草の儀は
  当村山にて取来り申候、此山は勿論、外に一切
  薪山無御座候、若偽り申上、後日に脇より露顕
  仕候はば、如何様の曲事にも可被仰付候、
  為其村中大小の百姓不残連判仕、指上げ
  申候 以上

    正徳二辰年二月
(大意)

 猿橋村は前々から下和田山に入って薪(たきぎ)をとっていたが、突然これを止められました。
 猿橋村は甲州街道の宿場町として泊り客が多く、朝夕の炊事や旅客の足洗場水、風呂等に薪を多く必要としています。
 村には他に薪を取る山がなく、下和田山へ入る事を止められては、猿橋村御百姓は困窮し、旅籠などの家業が全く出来なくなります。
 この事をご承知なられ、これまで通り、一刻も早く下和田山に入れるようにして下さい。
 なお、馬の飼葉については、村内で取って来ました。
 他に一切薪山はありません。 もし偽りを申し上げ、後日、他より露顕した場合には、どのような処罰も受けます。
 百姓全員の署名、捺印をもってこの文書を提出します。

    正徳二辰年二月

注)
 ・宛先は谷村の代官所と思われる。
 ・「下和田山」が現在のどの山を指すか不明。おそらく下和田村の猿橋寄りの山。