令和の猿橋

 国道20号(甲州街道)は、町の名前のもととなった名橋猿橋を通らず、桂川を斜めに渡り、その昔、明神社があったあたりでもとの道と合流している。
 
 
このため、新猿橋近辺は交通量も少なくなり、名橋猿橋はひっそりと昔のままの形で桂川を見下ろしている。
 
 
木造橋であるから何10年かごとに架け替えが必要となるが、何回架け替えても再び同じ構造のものを再建してきたということは稀有のことで、何百年もの間、地元の人達がこの猿橋を愛し、大切に守ってきたためである。

 猿橋の町もすっかり寂れてしまった。 商店があったところに近代的な住宅に建て直されており、「すずらん灯」がならんでいた商店街は住宅街の様相に変わっている。

 大月市の人口は
           昭和30年    昭和50年   平成元年    平成20年   令和4年
           41(千人)   37       35      30      22
と減少し、現在は市成立時の約半分(54%)になっているが、猿橋町の人口は約6千人から現在約4800人(80%)と減少率が低い。
 下の
地図のように伊良原などに住宅地が拡散し、桂台、四季丘などに大きな住宅地が造成されたためである。 

 明治の頃、大月(広里村)と猿橋(大原村)はほぼ同規模の村であったが、昭和初期には大月に大きく遅れをとり、合併して大月市さち」郷



 下の地図のように伊良原などに住宅地が拡散し、桂台、四季丘などに大きな住宅地が造成されたためである。  

現在の猿橋の町  国道が「新猿橋」を渡らず直進、あずくめ、梨木、伊良原などに宅地が拡散、町並もすっかり変わってしまった。
桂台、四季の丘にも大規模住宅地が出来た    
  

注目点
・猿橋町全人口のうち、桂台が1/3を占め最大!

・伊良原を含めない場合、猿橋より藤崎の方が人口が多い!
 (四季の丘効果)

・人口構成
   桂台   33%
   藤崎   19%
   猿橋   19%
   伊良原  13%