昭和前期(戦前)の猿橋

 富士山麓電鉄への乗換え駅となった広里村大月は、都留中学の誘致にも成功して地方小都市として急成長し、昭和7年(1932)町制を敷き大月町となった。
 大原村も遅れること3年、昭和10年(1935)に猿橋町となった。 しかし、大月への人、物、金の傾斜は止まらなかった。

 
甲州街道に自動車が走るようになると、名橋猿橋は自動車交通に適さず、橋巾も十分でないため、平行してコンクリート作りの「新猿橋」が架けられた。 昭和8年の事である。
 それまで猿橋の橋畔には猿橋警察署、第十銀行猿橋支店、大黒屋旅館などがあり、猿橋の町の中心だったが、新猿橋とそれにつながる国道用地とするために、これらの施設は立退き、橋の近辺の景色は一変した。
 猿橋警察署は小柳町、大十銀行支店は寿町の郵便局跡に移転している。

昭和10年の猿橋町

 
国立国会図書館に「猿橋尋常高等小学校編による学校経営の実際」という本が所蔵されており、この冒頭に「猿橋町の町勢」があるので、紹介する。
 

 猿橋尋常高等小学校の編による「学校経営の実際」という冊子が国立国会図書館に所蔵されている。
    インターネット公開 https://dl.ndl.go.jp/pid/1457607
                  (このホームページから直接リンクは出来ない)

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 猿橋尋常高等小学校の昭和10年当時の状況、教育要綱、教育方針などが詳細に解説されているが、その前説として猿橋町の町勢について述べられている。
 昭和10年当時の猿橋の状況を知るに良い史料なので一部紹介する。



 猿橋町勢概要  昭和10年  適宜「てにおは」を補った。)

1.位置
  猿橋町は北都留郡の南部中央に位し、
     東は倉嶽山(990m)を境として梁川村に、
     西は九鬼山(970m)及びその支脈を以て南都留郡禾生村及び本郡大月町に続き、
     南は九鬼山より倉嶽山に連互する脈陵を以て南都留郡盛里村に、
     北は賑岡村、七保村に
  隣接す。
  東西1里13町、南北1里5町、広表1方里429を有し、
  北緯35度34分より35分、東経138度57分より139度10分に位置す。

2.沿革
  猿橋町は日本三奇矯の一たる「さるはし」を有し、甲州街道の要衝に当り、猿橋村は寛文11年、
  宿郷となる。
  明治4年、猿橋宿、殿上村、小沢村、朝日小沢村、小篠村の6ヶ村合併して大原村と改称し、
  同20年、町村制発布に基づいて村制を布き、
  昭和10年4月1日、町制を施行して今日に及ぶ。

3.地勢
  地勢概して南方に高く、山■丘陵起伏し、桂川に面して漸次低下するも、殆ど平原なく、
  桂川東部沿岸に僅かに平地を見るのみ、
  川流また乏しく、朝日小沢の南、鈴音坂の東、麦的山の西谷に発源する小沢川は、桑木窪の水
  を合わせ、更に幡野川の小流を合わせて東北に流れ、猿橋の東南に於いて桂川に注ぐ。

4.気候
  概して大陸的気候であるが、本郡としては比較的中和である。
  本校(猿橋尋常高等小学校)内設置の気象観測所の最近の気温状況を見るに、
    全年平均温度    15.61
    最高気温平均    19.62
    最高温度 極    37
    最低温度平均     6.8
    最低温度 極    -10  
  である。
  最高、最低の差47度、平均差12度82なるを以て、まづ温和と見るべきである。
  降水量は余り多くないが、年平均3310mmを算す。

5.民風
  一般に質朴敦厚で、情誼に篤く、隣保相愛の情に富み、相互扶助、共存共栄の美風があったが、
  中央線開通し、交通の利便を得るに伴い、
  都会の華侈軽薄の風もまた浸潤し、人情薄らぎ、労働を忌み、勤倹力行に乏しく、射幸心に長じ、
  共同団結の精神欠乏して、個人的、利己的思想、部落観念強くなり、古来の美風消磨しつつある
  の傾向であるが、近時の世潮と社会教育の進展に伴い、村民一般、各種団体の自覚により、
  民風ならびに生活など改善されつつあるは喜ぶべき傾向である。

6.戸数、人口
  総戸数    961戸
    内訳     農   473戸
           商   255戸
           其他  233戸

  本籍人口  男 3490   女 3524  計 7019人
  現住人口    2542     2701    5243人

7.産業
  
産業の主なるものは農業及び養蚕業で、商業・機業これに次ぐ

 ・農業
   農業は、耕地少なく生産物は何れも自給自足するに足らず。
     水田  45町8反    農家一戸平均 9畝
     畑   233町3反          5反
   に過ぎない。
   生産物中、
     主要作物(水稲、大小麦、陸稲)   2800石 価格3万8千円
     普通作物(大小豆、粟、玉葱、蕎麦)  550石   2万5千円
   を産出するに過ぎず、この外
     果実(柿、葡萄、李、梅)                4千円
     水産(鮎、鯉)                     2千円
     林産(用材、薪、木炭、竹、茸)             1万円
   などを主なるものとする。

  ・養蚕業
   養蚕業は一時主要産業として、米麦作を圧倒するの形勢であったが、繭価の暴落により、
   桑園の整理を行い、飼育上に改良を加えて進展を示しつつある。
         飼育戸数    掃立量       収繭量
     春蚕   491   28000g    12175貫
     秋蚕   438   38090g     9522貫
  
 ・機業
   機業は主として甲斐絹を生産下が、価格の暴落により沈滞の状況である。
   現今の傾向としては本絹より人絹、または人絹交じ織に、小巾物に転向しつつある。

     主業とするもの    8戸
     動力台数      137
     人力台数        9
     従業員       55名
     年産量    22965疋    金額 85352円
      内 本絹  15525        66804
        人絹   1000         7600
        交絹   6440        10948

 ・商業
   商業は主として猿橋に行われ、往時、郡衙の所在地として最も繁盛を極めたが、
   中央線開通とともに、物資の集散は
   各駅を中心として行われれ、甲斐絹取引市場は七保村に分立し、郡役所は廃止されて
   後は、交通運輸の中心を大月に奪われれより、市況は往時に比して極めて不振となった。
   只、本町及び七保、富浜村に供給すべき米穀雑貨の取引を主とし、県外に輸出されるもの
   には甲斐絹、生梅、枯露梅李、繭などで、得意先は横浜、大阪、神戸、長野、東京方面である。
   輸入品の主なるものは、米麦、生糸、染料、日常必需品で、取引先は新潟、長野、東京、
   神奈川などの地方である。

 ・製材工業
   製材工場は5軒、共に殿上にあり、据付器械台数総計25台、日毎製材機械の軋る音の
   増しつつあるは、本町として
   主要な生産機構であることを意味する。
   材木は多く七保村小金沢方面より来たり、年製量15万石を製材する。取引先は東京、横浜
   方面である。

8.農業経済
 ・収支
   本町農家の生産総額は24万6117円で、内現金収入15万2438円(一戸当り322円20銭)
   総消費は29万5175円に上り、内現金支出21万1496円(一戸当り426円)、差引、収入に
   比して約7分5厘7毛、
   則ち4万9058円(一戸当り103円72銭)の不足を生じつつあるの状況である。
 ・負債
   収支の関係は以上の如くなるに加えて、農家の負債は、
     一戸当り780円、総額36万8940円(元金22万3600円、停滞利子14万5340円)
     の多きに達し、一ヵ年の利子(1割1分)2万4596円を算するも、疲弊の甚だしい
     現状に於ては、その大半は利払さえ行われず、元利、固定負債累増の悲境にある。

9.町政
 ・機関
    役場位置    猿橋24,28番地          
注)今のJAクレイン猿橋支店
    町長 1、 助役 1、 収入役 1, 書記 5
    町会議員 定員 18、 区長及び同代理者 各12

 ・財政
   村税      12,704円
   基本財産 山林    394畝  価格    361円
   普通財産 土地    791畝  価格   5,681円
        建物    870坪  価格  47,893円
   
   経費      歳出総額      臨時歳出
    大正5年度 22,398円          382円
     15年度 24,922円          6679円
    昭和5年度 26920円          6008円
      10年度25540円          4597円

10.官公署

 ・猿橋警察署
    署長(警部)1,警部補 1、 部長 2、巡査(内勤)10,巡査(駐在)14

    管轄区域 大目村、梁川村、富浜村、猿橋町、七保村、賑岡村、大月町、初狩村、笹子村   
         2町7ヶ村

 ・谷村区裁判所猿橋出張所
    管轄区域 梁川村、富浜村、猿橋町、七保村、賑岡村、大月町、初狩村、笹子村   
         2町6ヶ村 

 ・北都留郡農会
    会長 1, 副会長 1, 技手 2,書記 1                     
    郡下の普通農事、養蚕などの指導

 ・山梨県蚕業取締所猿橋支所
    支所長 1, 技手 1, 吏員 1
    郡下養蚕に関する指導取締

 ・猿橋郵便局
    局長 1, 事務員 6, 配達夫 7
    郵便、電信、預金、為替、保険、年金などの事務を取扱う

11.銀行、会社、組合

 ・第十銀行猿橋支店
 ・都留電灯株式会社
 ・北都留郡甲斐絹同業組合
 ・猿橋信用組合
 ・養蚕実行組合

12.交通
 ・鉄路
   中央線猿橋駅は本町殿上にあり、八王寺起点37.9哩の地点、明治35年10月1日開設、
   甲府・八王寺間唯一の始発駅として機関庫の設けあり。要駅として相当注目されていたが、富
   士山麓鉄道開通、及び電化に伴い、機関庫は廃止せられ、駅の内容的規模も縮小せられた
      附 開駅当時の駅名「えんけふ」は大正7年8月1日、「さるはし」に改称さる。

 ・道路
    甲州街道(8号線)は本町の西北部を東西に通じ、県道たる猿橋停車場小菅線(6里)、
    旧郡道たる大原小菅線(6里)、大原賑岡線(12町)、大原甲東線(2里)の起点として
    交通の要地に当たる。
    本町内の交通道路としては、猿橋字大西より朝日小沢宮の橋に至る猿橋小沢線(1里4町)、
    関屋分岐より小篠横引橋に至る猿橋小篠線(1里4町)あり。何れも昭和9年度に於いて
    改修を行い交通の利便を計った。

 ・橋梁
    猿橋   桂川に架す。名勝指定
    新猿橋  桂川に架す。国道8号線   
    真渡橋  小沢川に架す
    宮沢橋  小倉川に架す
    大富橋  蛇窪川に架す 原村と浜村の境
    虹吹橋  桂川に架す 小篠
    殿上橋  国道8号線  中央線上の跨線橋
 

 ・車輌
    荷馬車 5, 荷車 17、 リヤーカー 63, 自転車 230, 自動車 4, 
    トラク 4、 オートバイ 2、人力車 2

13.衛生
 ・防疫  春秋2回に清潔法を施行、 伝染病患者は照原病院に委託収容
 
 ・医師  一般医 3, 歯科医 2, 薬剤師 2, 看護婦 10, 産婆 3

14.警備
  消防組の早きは明治27年の創立にかかり、現に6部に分れ、組合総数290名、
  ポンプ 6台、ガソリンポンプ 1台を設備し、金馬廉10条を有す。

15.神社及び宗教 
 
    

16. 各種団体
    

猿橋大火
 昭和15年、猿橋は大火に見舞われ、仲町、横町の大半が類焼した。町の様相は一変し、
 大正時代の町並とは全く変わってしまった。

 太平洋戦争の戦時下、空襲警報が鳴るたびに灯火に覆いをかけ、防空壕に避難した。大月の町に
 は焼夷弾が落され、死者も出る被害があったが、幸いにも猿橋の町に爆弾が落ちる事はなかった。
   注)大月市史に大月空襲の被害 死者 54人、負傷者 48人、被災者 111人、
     被害家屋 35戸 とある。  詳細は災害編 猿橋大火 参照

猿橋町制施行

 

 大月と猿橋の関係を見ると、明治期には、多くの官庁や民間企業は猿橋にあって、猿橋がこの地方の中心であった。
 大月は駒橋、花咲などと合併して広里村となっていたが、花咲の方が中心で大月はまだ寒村であった。
 このような村々の関係にインパクトを与えたのが国鉄中央線の開通とそれに接続する富士方面に向かう私鉄の開通であった。
 更にいくつかの村が誘致していた都留高の前身都留中学も、大月に設立する事になった。
 富士へ向かう客は猿橋に一泊してから出かける、という従来の旅行形態から、富士へ向かう私鉄路線を猿橋発にする、という計画もあったようであるが、
 地形図を見てみれば、桂川と笹子川の合流地点大月が私鉄と国鉄(中央線)を接続させるというのは、建設コストから考えれば至極当然の決着である。
 また都留中の誘致も、吉田、谷村方面の私鉄沿線、上野原~笹子の中央線沿線から通学する生徒の便を考えると、大月という選択も至極妥当であった。