災害
水害
猿橋の町並は桂川の河岸段丘上にあり、桂川の水面から約30m程高いところにある。
また、町の南方を流れる小沢川(真渡川)も桂川同様、町並からはるかに低いところを流れており この出水が町並に影響がない。
従って、猿橋の町は、こと水害についてはほとんど皆無であった。
新猿橋から旧中央線鉄橋のあたりは、桂川でも最も狭い渓谷となっており、そこで水流が妨げられ、その上流に川の水が湛えられて写真のようにダムのような光景を見る事があるが、この水面が町並に達する事はない。
旧猿橋小学校の後方、通称あづくめという所は一段低い河岸段丘で、ごく稀に川の水が達する事が戦後にもあった。
橋上より見た桂川の「大水」 昭和10年9月25日 |
戦後このように水害については恵まれた立地条件にあった猿橋であるが、江戸時代、水害で大きな被害を受けたために年貢が減免された記録が残っている。
弘化2年(1845)、猿橋村のどこかで大きな風水害があり、年貢減免の歎願書に添付した絵地図である。
水害の少ない筈の猿橋村であるが、「あづくめ」の所が塗りつぶされているので、桂川の増水で「あづくめ」が冠水したための年貢減免願いかも知れない。
この地図についての解説は次のとおりであり。