地形・構造の特異性
猿橋の長さ30.9m、幅3.3m、水面からの高さ31mで、深い谷間のために橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から四層に重ねられた「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木をせり出し、橋を支えている。これが三奇橋のひとつと呼ばれる所以である。
昭和59年(1984)の駆け替え以前は刎木は3本だった。
地形の特異性
猿橋が架かっている場所を見ると、その上流と下流は共に山あいの河川としては比較的川幅が広くゆったりとしている。
これは河川の浸食作用により河岸段丘が発達し、段丘崖は存在するものの段丘面の広がりがなだらかな印象を与えるためだろう。しかし猿橋付近で川幅は急に狭まり両岸が切り立ち、渓谷の様相を呈している。
そしてまた下流は急に開けた地形になっている。
昔からの甲州街道は、甲斐国に入って常に桂川の北岸を通っている。しかし猿橋から大月にかけて集落が南岸の河岸段丘にあるため、どこかで桂川を渡らなければならない。
川幅が広い所では、橋の長さが長大になるか、川原まで下りて行って渡河し、また上って行かなければならない。架橋は簡単だが、旅人のアップダウンが大変、物資の輸送にも適さない。
川幅が最も狭くなっているこの地点に架橋すると、橋の長さが短くて済むことは容易に想像できる。 猿橋の地点は最も理にかなった場所といえる。
なぜこの場所だけ川幅が狭くなっているのだろうか。
何千年も前、富士山の溶岩流が桂川に沿って30km以上も流下して、その末端部が現在の猿橋南岸まで到達した。これを猿橋溶岩流と呼ぶ。このため、河川が狭まり、猿橋の所で堰き止められた。
後に、桂川の侵食作用により削られて、狭隘で深い谷へと変貌したと考えられる。
猿橋の西側、町の北側の崖にこの痕跡を見る事が出来る。流れてきた溶岩が柱状に固まった柱状節理である。。
構造の特異星
前に述べたように、猿橋の架かっている地点は、川幅が最も狭くなり、ここに架橋すれば、街道を一旦川原まで下げずに渡河する事が出来る、しかも橋の長さは最短となる。
しかし、川底からの高さが橋桁を立てることができない。
このような条件の中で架橋を可能にする構造が「桔橋」(又は刎橋、はねばし)構造である。
桔橋は、桔ね木と呼ばれる部材を両岸に埋め込み、少しずつ伸ばしながら重ね、その上に桁を通している。
猿橋では桔木を2列4 段に重ねている。
桔木と桔木の間には枕梁と呼ばれる部材が桔木と直交方向に入っている。この枕梁と桔木には腐食防止のための屋根があるため、まるで寺社のような印象を受ける。
木造の桔橋は富山の愛本橋や長野の水内橋(久米路橋)などいくつかの橋が存在していたが、現存は猿橋だけだという。。
行桁(ゆきげた)は外見、ただの木材のように見えるが、実は下の写真のように、中にH鋼をいれて強化している。(鉄骨木装)