猿橋の浮世絵
猿橋を描いた浮世絵はネットなどに多数公開されているが、色を変えたり、部分的に切取ったものが多い。
最も有名なのは歌川広重の「甲陽猿橋之図」である。
甲陽猿橋之図 山梨県立博物館 蔵 |
広重(初代)は寛政9年(1797)生れ、安政5年(1858)没の、江戸時代を通じて最も著名な浮世絵師。 甲府への旅 この日記によれば、広重は同年4月5日に甲府に到着、滞在中は甲府の人々から歓迎され、句会や芝居見物などを行っている。 日記は一時中断して、11月から再開、この間には幕絵は完成し、手付金は5両であったという。 この旅の途中、広重は猿橋周辺の景観に感動し、スケッチ数枚と次のような言葉を旅日記に残している。 「甲陽猿橋之図」は、江戸に戻った広重が、上記のスケッチと記憶をもとに構成して描いたものと考えられる、 |
広重の視線に近い角度からの猿橋。高さを強調するため、橋の下に実査死にはない満月、山、民家を描く広重得意の構図であることがわかる。 |
もうひとつの広重のの絵「甲斐さるはし」 | これも広重の絵。 広重が全国の名所を描いた晩年の人気シリーズ「六十余州名所図会」に含まれる「甲州さるはし」 紅葉に彩られた橋を見上げる構図は「甲陽猿橋之図」と同じであるが、印象はまったく異なる。 橋の上の人物、橋の構造は部分拡大しても細かい描写である事がわかり、遠景、岸壁なども見応えのある絵である。 下を流れる桂川に岩がいくつか描かれているが、これは広重の記憶違いであろう。 橋上に旅人が5人、いずれも江戸方面に向かっている。 橋桁の描写は正確で詳しい。 橋の下の遠景と桂川に岩が点在するのは実際とは異なるが、これが広重の絵の真髄だろう。 |
左 ネットの紹介では 「歌川広重 諸国名所 甲陽猿橋之圖」とあるが、落款は違うようだ。 右 北斎漫画 7編 「甲斐の猿橋」 |
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葛飾戴斗 江戸時代の浮世絵師 葛飾北斎の門人 |
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「甲斐国猿橋の真瀉也」 星亭北寿 画 とある ボストン美術館 蔵 葛飾北斎の門人 寛政末期から文政頃にかけて、風景画や狂歌本などを多く残している。 |
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広重は版画だけではなく、直接筆で描いた肉筆浮世絵も多数残している。 特に天童藩主織田氏の申し出を受けて制作した作品は「天童物」と呼ばれ、有名である。 富士を望む名所の犬目峠の春と、日本奇橋の猿橋の秋を描いた「犬目峠春景図・猿橋冬景図」はこの「天童物」のひとつ。 構図は版画「甲陽猿橋之図」と同じ。(MOA美術館のHPより) |
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明治天皇巡幸の様子を描いた「諸国名所之内甲州猿橋遠景」 (山梨県立博物館蔵) |
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安藤広重作とされる絵 甲州文庫 | |
亜欧堂田善 猿橋眺望図 (府中市美術館) | |
府中市美術館の説明 奇妙な石橋、深々とした川面、豊かな緑をたたえる木々、そして青ともグレーともつかない空。にぶい光沢と濃厚な色合いをもった絵肌とあいまって、とても不思議で印象深い画面です。 |
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朝日新聞の紹介記事(2002−12−4) |