猿橋架橋による猿橋南詰(西詰)の変化
明治分間図の猿橋橋畔南詰(江戸を東、下諏訪を西として西詰ともいう)を拡大すると、次のようになる。
この地図に明治から大正期に橋畔にあった施設、建物を書き入れると次のようになる。
対象11年の絵地図で、第十銀行支店が警察署、大黒屋の裏にあるように見えたが、実際には大黒屋と並ぶ形だったようだ。
A 猿橋警察署 B 第十銀行猿橋支店 C 大黒屋 | |
水嶋義雄氏が平成10年に書いた「大正時代の町並図」 一部 |
昭和7年新猿橋架橋前の内務省実測図 |
A | B | C |
猿橋警察署 | 第十銀行猿橋支店 | 大黒屋旅館 |
警察署の白い柵が見える |
「甲州街道 歴史史料集」には、猿橋に曲の手がふたつ続くとあり、これを軍事上の枡形としているが、両方とも単なる地形上の理由と考えられる。