猿橋警察署
沿革
明治7年、大月に警察出張所(屯所)を設け、北都留郡を管轄
明治8年、大月の屯所を猿橋に移転、脇本陣奈良七右衛門宅を仮用
明治10年、出張所が警察署と改称され、谷村警察署猿橋出張所が猿橋警察署となる。
猿橋橋畔53番地に警察署新築完成、開署式を挙げる
明治13年、猿橋警察署は南北都留郡を管轄することになり、谷村警察署は猿橋警察署谷村出張所となる。
明治天皇行啓
明治14年、谷村警察署を開設、猿橋警察署は北都留郡管轄となる。
大正15年、上野原分暑が独立して上野原警察署となる。
昭和8年8月20日、新猿橋架橋のため取り壊し、小柳町に新庁舎建設、移転
昭和17年8月、猿橋から大月に移転して大月警察署となり、猿橋には巡査部長派出所が置かれる。
昭和23年、猿橋町に自治体警察が置かれたが、29年7月、再び大月警察署管轄となる。
猿橋橋畔の初代警察署庁舎については北都留郡誌につぎのような記述がある
江戸時代、十王堂という小さな仏堂があり、正月や盂蘭盆には多くの参詣者を集めた場所。
心月寺の管轄で、見捨地(免税地)だった土地だが、明治8年の地租改正で官有地に編入された。
脇本陣奈良七右衛門宅を仮庁舎としていたが、この十王堂の仏像は心月寺に移し、巨木が鬱蒼としていたこの地に新庁舎を建設する事になった。
世話掛には奈良甚右衛門、奈良利一郎、長幡佐一郎、鈴木六右衛門が就任
建築用木材は賑岡村岩殿山の官民未定の土地にある檜を伐採し、賑岡村民の協力で桂川の流れを使って猿橋に運んだという。
明治9年3月着工、翌10年10月に完成した。 建築請負は鳥沢の大工桑山鋼蔵、内部造作は猿橋の建具鈴木捨吉
総工費は1800円だったが、管内9ヶ村有志からの寄附、および人夫のべ1000人分を寄附したので、工費を大いに節約できたという。
10月に行われた開所式には甲府から知事藤村紫朗ほか幹部が出席している。
猿橋橋畔に新築された猿橋警察署 初代庁舎 まだ新猿橋が架橋されていなかったので、現在の新猿橋に通じる道路上あたり。 |
関東大震災で傾いた猿橋警察署(大正12年9月) |
二代 猿橋警察署庁舎 現在は黒田病院 新猿橋架橋に伴い、その用地のために移転新築 |
明治13年の山梨県下警察署 猿橋署は警部1人に巡査8人 管内人口12596人