猿橋郵便局
猿橋の郵便局と云えば、仲町にあったコンクリート作りのこの建物だったが、現在は殿上の方に移っている。
猿橋の町の人達は不便していないだろうか?
明治4年の郵便事業創設以来,明治6年頃までに山梨県か下の主要な市街地に開設され,さらに明治9年までには主な郵便局網ができあがった。
猿橋郵便局は明治5年に周辺村々に先駆けて設置され、明治8年10月16日、郵便業務開始した。
下図によると、当時は現在の大月町が郵便担当区域だった。
明治8年10月16日、郵便業務開始した。
左右ともに「山梨県における明治初期の地方中心システム」より
明治11年5月、東京(四ッ谷)から八王子を経て甲府への電信用電線を架設するにあたり、猿橋に電信分局を設けて甲府までを中継した。
県境から猿橋 4里27丁28間 電柱 327本
猿橋から甲府 12里19丁18間
明治13年12月17日、為替事務開始
明治14年12月5日、電信事務を開始
山梨県下猿橋 并愛媛県下大洲仮設通信を開く 明治14年12月6日
明治15年2月 電信局の用地を当時の猿橋の有力者達が寄進(献納)した、という記録が残っている。場所は現在山梨中央銀行猿橋支店がある場所である。
詳細は後述
明治17年2月28日、電信分局の等級決定があり、山梨県下では甲府・猿橋が三等級となった。
明治18年3月17日、貯金事務開始
明治22年6月1日 猿橋電信分局と猿橋郵便局合併
甲斐国北都留郡猿橋電信局を同地郵便局と合併す 明治22年6月1日
明治25年10月1日 欧文電報を取扱開始
甲斐国猿橋郵便電信局に於て欧文電報を取扱う 明治25年10月1日
大正6年5月10日、保険事務開始
明治29年の地図。今の中銀支店のところに 〒マークが見える |
明昭和7年の地図 仲町の方に移っている。 |
昭和7年頃は新猿橋(現在の新猿橋ではなく、木造の猿橋の隣りに架橋された「新猿橋」)の架橋のため、橋のたもとにあった猿橋警察署や第十銀行猿橋支店が立退き、移転した時期である。
現在の銀行支店があるところには電信郵便局があったが、上記移転で郵便局が仲町の方に移り、その跡地に銀行支店が入ったのだろう。
電信局用地の寄進
猿橋の有力者が電信局用地を献納 太政大臣への伺い書 | ||
第八号 猿橋電信分局地所受領致したき儀に付き伺い 山梨県北都留郡大原村の内、猿橋駅第百五十四番地第一種宅地二畝十六歩の内、 一 宅地反別一畝二十歩 小幡忠次郎所有地 右は山梨県下猿橋電信分局敷地として該駅人民惣代奈良甚右衛門外十三名の者より該地所を購求し、献納致したく出願の旨を以って県令より伺い出候に付、兼て伺い済みの旨趣に基き、許可の上、内務省へ協議遂げ候処、差支筋これなきに付、当省第二種官用地として受領致したく、これにより別紙地図一葉相添え、此段相伺候也 明治十五年一月廿一日 工部卿 佐々木高行 太政大臣 三条実美 殿 伺いの趣、聞き届け候事 明治十五年二月十六日 |
||
別紙 |
||
(上右) 明治15年2月2日 第二局 印 別紙工部省伺、猿橋電信分局敷地として 該地人民より民有地献納に付、受領の儀は 何等師匠の廉も無之と被存候間、御尤 可相成可然哉、諸案取調、仰高裁候也、 御指令案 伺の趣聞届候事 (上左) 明治15年二月十六日 御達案 内務省 別紙山梨県下猿橋電信 分局敷地として、該駅人民より地所献納に 付、受領の儀、聞届候、地種組替 等、成規の通可取計、此旨相達候事 明治15年2月16日 大蔵省 及会計検査院へ通牒 例文 省略 (左) 工甲7号 明治15年2月8日 大臣 花押、印 内閣諸機関 印 猿橋電信分局地所受領致したき儀に付き伺い 工部省伺候猿橋電信分局敷地、該地人民 より献納に付、受領の事 |
||
上記のよに民間から寄附された土地に建てられた猿橋電信局であるが、明治22年、郵便局と合併になり、猿橋電信局は廃止、猿橋郵便局となった。 何年までこの地に郵便局があったか不明であるが、明治29年の地図には、この地に郵便局があった事がわかる。 しかし大正7年頃とされる町並図(寿町)では、この地が精米所となっており、明治30年以降、大正7年以前のいずれかの年に、仲町に新築した建物に移転している。 (寿町 一部) (仲町 一部) |
||
今、昭和7年頃、猿橋脇から移転してきた第十銀行猿橋支店の後身、山梨中央銀行猿橋支店がある。 |
郵便局 裏側の倉庫のような所には自転車が沢山あった。 昭和30年代、郵便配達はもっぱら自転車を使っていた。 表通りに見えるのは、日之出屋本店、その左は高橋商店 |
殿上にある現在の猿橋郵便局 google mapより |