猿橋の神社仏閣
神社
猿橋には大正時代、下記の4社があった。
出世大神宮
北都留郡誌には「出世大神宮」は掲載がない。 その歴史を考えると意外であるが、上記の諏訪・春日神社が合祀されて出世大神宮になったと思われる。
出世大神宮と呼ばれる理由は、大月市郷土歴史館のHPによれば、平成12年(2000)拝殿を改築した時の『竣工の記』に次のように書かれているそうだ。 (この項、大月市郷土歴史館のHPより)
寛永年間、その日暮らしにも困る一人の若い浪人が、路銀も少なく猿橋の小社天照大神社に一夜の寝ぐらを求めました。その夜、枕元に立った神様から「此の社崇敬あらば必ず立身出世あるべし」とお告げがあった。
それから浪人は江戸に出て神敬いよいよ厚く勤勉努力した結果、一介の浪人から旗本に取り立てられ大いに立身し日光の東照宮の改築寛永13年(1636)に普請奉行となり、その後慶安年間甲府城の城代(4千石)となり、さらに江戸幕府の中軸若年寄(5千石)格式2万石の大名まで出世したという。
その名は山口出雲守勘解由。
山口出雲守は「夢想に少しもたがわじ」と寛文3年(1663)に現在地(猿橋字切添1135-1)に神社本殿を新築し勧請した。(中略)
また、同書によると大正11年(1922)、社格を指定村社に昇格させるため諏訪・春日神社の御神霊を出世大神宮に合祀したという。
しかし、武鑑で山口出雲守の存在は確認できない。牛久1万石の大名山口家は確認できるが、出雲守は名乗っていない。
まあ伝説と考えておけばいいだろう。
祭日は9月10,11日とあるが、これが後世、9月のお祭になったのであろう。
昭和34年、35年の氏子総代
八幡神社
所在地松葉とあるから、猿橋公民館の右側にあった小社がこれだろう。
祭日は4月14、15日とある。 このお祭が4月17,18日のお祭になったのだろう。
寺院
北都留郡誌に掲載されている大原村内の寺院
心月寺
心月寺は正安元年(1299)勧請というから、鎌倉時代後期のに開山である。
古くは猿橋橋畔にあったが、江戸時代に現在地に移転しており、猿橋宿の地図にも、この地(字名 梅沢)に存在していた事がわかる。
明治の初め、学校や警察署、裁判所出張所などが専用庁舎が出来るまで心月寺で仮スタートしたという記事が多い。
猿橋の多くの人の菩提寺である。
以前は町から離れた静寂の地であったが、今は、後背地に中央高速道路が走っており隔世の感がある。