都留高等学校
沿革
明治33. 4.17 | 山梨県中学校(甲府)都留分校を谷村に設置。 (猿橋に私立学校鶴鳴舎) |
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明治34. 4. 1 | 山梨県第一中学校(甲府)都留分校に改称、校舎を大月に移す。 |
明治36. 4. 1 | 山梨県第二中学校(日川)都留分校に改称 (大月ー谷村ー吉田 馬車鉄道開通) |
明治43. 3. 9 | 山梨県立都留中学校設置。 |
大正12. 2.17 | 山梨県立第四高等女学校設置、翌年都留高等女学校に改称 |
昭和22. 4. 1 | 学制改革、第1学年の募集を停止し、併設中学校を設置 |
昭和23. 4. 1 | 学制改革、県立都留中学校廃止、 都留第一高等学校、都留第二高等女学校 |
昭和23. 7. 1 | 県立都留第一高等学校定時制課程として中心校の他、猿橋、富浜、 上野原の3分校と西原分教場(上野原分校)を設置 |
昭和25. 4. 1 | 高等学校再編成、山梨県立都留第一高等学校と都留第二高等学校を 統合、県立都留高等学校に。 普通課程、商業課程を設置、定時制西原分教場が西原分校に昇格。 |
明治36年に新築された県立中学都留分校の校舎
学校周辺風景。 寒村だった大月。中央線開通前であるが消印は明治43年 ?
都留中学校 2代目校舎
駅まで家並みがつながった大月
甲子園に初出場の都留高チーム(大月駅前)
(昭和27年 選抜大会 山静大会決勝で甲府商と延長21回まで戦い2−1で優勝)
甲子園では水戸商に惜敗
明治27年、中央線の建設が帝国議会で決定された後、名古屋と八王子に鉄道局の出張所が設けられ、工事は東西両方から開始された。
1903年(明治36年)