戦前の幼稚園
戦前、昭和10年頃、関屋の相互園辺に「幼稚園」が設立されていた。
猿橋町在住の仁科喬男さんはこの幼稚園に通ったという。
喬男さんは昭和7年(1932)生れ、今年(令和5年)現在92才。
至極お元気で、猿橋でお会いする時も車を運転して来られる。
同氏によれば「幼稚園」という名前かどうか確かではないが、園児は10名程だったという。
この中の一人が後に大月市長となった西室覚氏だったという。
この当時、子供を幼稚園に通わせる家庭は経済的な余裕がある家庭であったろう。
現在のようにバスで送り迎えなどはないから、西室覚さんは下和田から毎日歩いて通ったのであろうか。