猿橋活版所  この項の記事、写真は矢崎節夫氏著「月夜の詩人」を引用しました。  

 通称「活版所」と呼んでいた猿橋活版所(後に吉川活版所)は吉川書店とともに吉川實治氏が明治年間に創業した。
 書店は北都留郡の小学校の教科書を広く扱い、猿橋活版所も北都留郡の活版印刷業務を一手に引受けていた。

     
    昭和初期の吉川書店と猿橋活版所                          創業者の吉川實治
   

    二代目店主吉川秀雄出征記念写真
 吉川秀雄出征記念写真
 
 活版所は吉川書店の左隣りにあった。戦後は化粧品などを売る店となり、「下の吉川」「下の活版所」などと呼んでいた。
 実際の印刷所は裏の方にあった。(小さい頃、印刷場の2階に遊びに行った事がある。)

 下は昭和12年5月11日 詩人吉川行雄の長い葬列(同上)
  坂を下っていることがわかる。
 昭和20年代、雪が降るとこの坂でソリやスキーで遊んだ。 左奧は三皇山。

 左に「絵具・染料・・・大田屋」という看板が見える。 戦後町役場の西隣にあった大田屋の前身か?

 活版印刷とは活字を組み込み並べた「組版」を用意し、これに塗料を塗り、紙へ転写する印刷方式の事である。
 吉川實治はこの技術をいち早く導入し、北都留郡の印刷業界の先駆者となった。

 活版印刷の活字 猿橋活版所の組版作業風景「月夜の詩人」より

戦後はここには化粧品などを売る店があり、「下の吉川」などと呼んでいた。

  


  大正年間の猿橋活版所周辺

  大布屋酒店と同じく間口が広い。
  左隣りは谷村裁判所出張所、
  右隣りは大海屋海産店、
  山中糸繭店
  

  向かいに花田自転車店
  小宮理髪店がある。

  向かいの路地を入って行くと
  杉本染工場