桂川の鮎釣り
枯枝に からすとまりけり 秋の暮 芭蕉
桂川の鮎釣りは地元にとって貴重な水産資源であり、且つ都会からの客を呼べる観光資源でもあった。
北都留郡誌によれば、大正11年の北都留郡下の鮎収穫は23567円とある。
(2319貫)
カジカと思われる「丙穴魚」も3422円、鯉512円、鰻1278円の生産(売上)があったようだ。
漁法
鮎釣りは本当に盛況だった。毎年の解禁日、大くは6月1日、には、地元だけでなく、東京などからの釣り人が多く、川原は大いに賑わった。
鮎釣りには釣り糸がからまないように、ある程度の間隔が必要であるが、解禁の日などは下の写真のように釣り人が多く、適度な間隔さえとれない程だった。
鮎を釣る漁法には
1)友釣り
2)ドブ釣り
3)コロガシ
があるが、桂川では「さくり」と呼ばれていた上記3)の「コロガシ」だった。
糸に多数の針を付け、流れの下から上へさくり(語源は「しゃくり」か?)根こそぎ獲る漁法である。
後になって他の地方の人と話すと、「そんな漁法、見た事がない」といわれる。 桂川ではあたりまえと思っていたこの漁法、鮎の数が多くなければ成立しない漁法だったのだ。
「友釣り」をする人もいたが、何となく「通」の人の漁法のように思えたが、他の地域ではもっともポピュラーな漁法のようである。
川原には沢山の釣り人 → 「さくり」の仕掛け ↓ |
釣りをしない人、出来ない人にとっても川原は楽しいレジャーの場だった。
川原で釣りたての鮎やウグイを焼いて食べる客も多かった。
下の写真、上に「バンガロー」という看板が見える。 観光客を目当てにバンガローも設置された時代もある。
漁業組合出資証券
桂川で鮎釣りを楽しむためには入漁権が必要であり、「桂川漁業会」の出資者には、年間の漁業鑑札が与えられた。
終戦直後の昭和20年で、出資金20円は、現在でいえばどの程度かわからないが、20万円ぐらいであろうか?
「与瀬ダム」と呼ばれていた相模湖が出来て以来、海から上ってくる鮎がなくなったので、毎年稚魚を買って来て放流していたので、コストがかかっている。
他の所から来る釣り客には「一日入漁券」が発行されたが、写真のようなに多くの釣り客の中で何割の人が「入漁券」を持っていただろうか。
裏面 |