猿橋競馬場
昭和初期、現在猿橋小学校がある伊良原に競馬場があった。
設立の時期などは不明であるが、昭和2年8月の地方競馬規則の公布に伴い、山梨県下の競馬場が甲府競馬場、富士競馬場に整理統合されたにで、昭和6年には閉鎖したと考えられる。
現在の競馬場とは異なり、券を購入すると、どの馬が勝ったかによって最高10倍の「景品」がもらえるというシステムだったようだ。
競馬の主催が「北都留郡畜産組合」だった事を考えると、馬の品評会のような要素が大きかったのかも知れない。
昭和3年秋の猿橋競馬開催 ポスター (昭和3年) | |
サイズ 39.5cm X 54.5cm 主催 山梨県北都留郡畜産組合 もっと前に開催される筈であったが、雨天のため 10月19,20、21日に延期されている。 右に 「景品は最高10倍」 左に 「駅より風光明媚な馬場まで徒歩5分間」 というキャッチコピーがある。 徒歩5分は誇大広告 |
猿橋競馬開催の案内状(昭和4年、5年) 競馬切手(http://keibastamp.d.dooo.jp/index.html)より
昭和4年、5年の競馬招待状。
昭和6年には富士競馬場(忍野村、現在のファナックのある場所あたり)に統合、閉鎖されているので、下の昭和5年の招待状は最後の競馬開催と思われる。
地方の競馬場 下は猿橋競馬場の写真ではないが、このように観覧堰がない、馬場だけの競馬場だった。 |
猿橋競馬場 閉場記念写真 最終日(昭和5年) 当時の猿橋の名士達であろう |