水泳のこと
子供の頃、夏の日中は殆ど川原で過ごしていた。
そのせいか、水泳が得意になった。
大人でも危ないと云われていた猿橋直下の急流を下流から上流に向かって泳ぎ切る事ができた。
中学の時、正式な部としては認められなかったが、仲閧ニ「水泳部」を結成し
松河原の流れが緩くなっているところにロープを張って、練習をした。
大会なんかなく、タイムを計る道具もなかった。
高校には水泳部があったが、試しに練習に参加させてもらったが、ちゃんとした水泳部のある中学の出身者で、県大会でも上位にランクされる猛者が多く、「レベルの違い」に、たちまち戦意喪失、すぐ退部した。
高校2年の夏、水泳部をずっと続けていた同級生に「戻って来ないか」と誘われた。
スポーツの盛んな学校だったから、このまま、何もしないで卒業するのも、と思い、改めて入部した。しかし、下級生にも大きな差がつけられる「レベチ」だった。
それでも、県全体の水泳のレベルが低かったので、県大会でかろうじて入賞し、関東大会に出場する事が出来た。皆が選ばない長距離、800m、1500mであった。 勿論予選で敗退だった。
その後しばらく泳いだ事がなかったが、勤めていた会社の社内水泳大会があり、ここでは結構いい顔が出来た。
また女子社員の多い会社だったので、応援の「キャーキャー」で、結構スター気取りになっていた。
30代、40代、50代ではほとんど泳ぐ機会がなかったが、定年退職後、体力維持には水泳が最適と聞き、近くのジムに入り、それ以来事ある毎に泳いでいた。
70代になって、マスターズ水泳の存在を知り、人に勧められて参加するようになった。
横浜でも東京でも大会があるが、熱海会場を選んだ。熱海温泉に泊まる事を自分への褒美としたからだ。 この大会には3回ほど出場したが、コロナで中止になってしまった。
2019年の大会の「400m自由形 75才以上」の記録が残っている。
400mで7分20秒86。昔にくらべれば随分遅くなったものだと思ったが優勝(といっても参加者2人)は気分良く、賞品の熱海名物「開きセット」もありがたかった。。
85才の1位を見ると8分52秒。1分以上の差がある。
80代になったら、またマスターズに挑戦し優勝するつもりで、年間250kmの走破ならぬ「泳破」をめざし、毎日ジムに通っている。