貧乏山のこと
藤崎へ向かう伊良原の道の左方に小さな山があった。
正式な名は知らないが、子供の頃は「貧乏山」と呼んでいた。
下の写真(大正時代の絵はがき)のように、木がまばらにしか生えている所から「貧乏」という名が生まれたのだろう。
恋路峠の少し前だったか、左にこの貧乏山に通ずる道があり、山にさし掛かると階段になっていたように記憶している。
「木がまばらに」というのは正確でなく、全山草木に覆われているが、高い木がまばらに生えていた、というのが正しい。
頂上に小さな祠があった。
現地に行かず、グーグルマップで現在の姿を調べて見ると、周辺には宅地開発の波が押寄せているが、山は健在であり、相変わらず高い木はまばらで、往年の風景を留めている。
四季の丘などという団地が出来ているので、今でも団地の子供達の恰好の遊び場になっているであろう。
現在の「貧乏山」
グーグルマップより