D 「猿橋湖」
これは子供の頃の夢物語である。
桂川に近い所に住んでいたので、毎日桂川を見ていた。
台風や大雨で桂川が増水すると、すざまじい流れとなった。 高い台地の上の町なので洪水の懸念は全くなかったが、夜寝ていても大きな石が流される「ゴロゴロ」という音が聞えて怖ろしい思いをしたものだ。
新猿橋の下は両岸に聳える岸壁で極端に狭くなっているので、増水の時は水位があがり易く、「あづくめ」も埋まってしまう大増水の時には家のすぐ下(といってもまだ10mぐらいあったが)まで水位があがり、向こう岸(霞町)との間に湖が出来たような光景があった。
当時、子供心に新猿橋の下は非常に狭くなっているので締め切るのは簡単、ここにダムを作ったら良いに、と考えたことがある。
遊覧ボートなど浮かべたりすれば、橋だけが観光資源の猿橋にとって、もうひとつの魅力が加わるし、水力発電も出来るだろう。
小学校4年の時に遠足で行った「与瀬ダム」の影響である。(与瀬ダムは戦後、昭和22年の完成と聞く)
与瀬ダムはその後、「相模湖」と命名され、与瀬町、与瀬駅も相模湖町、相模湖駅と改名され、中央線沿線では有数の観光地になった。
長じて、新猿橋下を〆切り、水面が猿橋より少し低い海抜300mまで水を溜めると、どのくらいの湖になるか、地図上でシミュレーションして見た。
下の図は海抜300m以下の部分を塗りつぶしたものである。
子供の頃は広大な面積になると思っていた「猿橋湖」は、予想外に細長い湖になり、下和田の低い所や駒橋発電所あたりが水没してしまう事がわかった。もちろん「あづくめ」と呼ばれた一段低い段丘もすべて水没である。
相模湖も細長い湖だ。(縮尺は異なる)
中央高速や中央線からの景色もだいぶ変わるだろう。
新猿橋の上から「猿橋湖」越しに岩殿山をながめる景色も名物になるかも知れない。
このような水没という犠牲を払って、どのくらいの観光資源になるか、どのくらいの発電量になるか? 想像もつかない。