六本松はこのあたり

ロードレースのこと

 猿橋中学の年間行事の中にロードレースがあった。秋10月だったと思う。
 
 全校生徒が一斉に(男子と女子は別だったか?)狭い校門を通って坂道を下り、七保方面への県道を走って行く。
 六本松を過ぎ、葛野を越えた所で葛野川を渡り、畑倉を通って岩殿へ、ここで隧道をくぐると高月橋の手前で左に折れる道を通って強瀬(こはぜ)にでる。
 ここで桂川を渡り駒橋発電所の前を経由、旧甲州街道から殿上で国道20号に出て、猿橋の町を通り中学校に戻る一周のコースである。
 全長15kmか20kmくらいであろうか。

 
  

 このロードレースで、生涯忘れられない出来事があった。

 3年生の秋だった。
 走る事は得意ではないので、上位に入る事などは考えず、せめて中くらいの順位になれば、と一生懸命に走った。

 畑倉から下り道で桂川を渡り、発電所がある集落あたりにさしかかった時、歩いているグループがあった。私も走るのが苦しくなっていたし、知っている連中だったのでそのグループに入った。

 普通なら体力が回復すれば、また走り始めるのであるが、この時はそうならなかった。だんだん歩くグループの人数が多くなり、とうとう15人くらいになった。

 グループの中から走り始める者もなく、歩く集団がそのまま猿橋の町に入った。ニュース映画で見るデモ行進に似たような感じもした。

 町の人が応援、見物に出ていたが、それでも歩き続け、しゃべりながら、中学に戻った。
 校門を入る時だけ、もっともらしく走ってゴールに向かった。

 学校側ではこの事を電話で聞いていたらしく、「歩き集団」はそのまま校庭の真ん中に一列に並ばされた。
 そして、下級生も含めて全員が皆が見ている中で体育担当の古屋先生が一人づつビンタを始めた。

 私の前に来た時、先生は泣いているような真っ赤な顔をして
「一杉、きさま・・・、ついこの間まで生徒会長のくせに・・・」
というような事を云いながら、一段と強いビンタを喰らわせた。
 ちょっと前まで生徒会長をやっていながら、学校の行事に反抗するような態度をとって、という事だろう。

 全員のビンタが終わった後、
「六本松まで、もう一回走って来い」
と命令され、皆で走り直した。


 
→この部分は「記憶違いだ」と仲閧フ一人だった奈良重徳君から
  指摘された。彼によれば

 全員のビンタが終わった後、
「もう一回走って来い」
と命令され、皆で走り始めた。
 六本松近辺まで走っていたところ、後から教頭の荻原先生が自転車で追い掛けて来て、
「そこまででよい、学校へ戻れ」
と云われて、一同学校へ戻った、ということである。

 大いに反省したが、この当時、我々には学校行事に反抗するような気持は全くなかった。 
 しかし学校側、この行事を担当した古屋先生にとっては大問題だったであろう。

 多くの人が見ている前でビンタされたのは、後にも先にも始めての経験だ。

 後に六本松を通る度にこの事を思い出したが、そのうち六本松も切り倒された。
 私の記憶も薄れて来てはいるが、完全には忘れられない記憶である。
  写真三枚とも卒業アルバムより  

   岩殿隧道の出口を疾走する菊池君か。
     

この「六本松」のありし日の写真を入手した。 (大野博巳さん提供「時をつなぐ街」より
  
    大島方面から見た六本松
 昭和20年代、たしかに松が6本だ。