兄と竹内てるよ
伊良原の入口、昔は「舟久保」という字名で呼んでいたところに町営住宅があった。昭和20年代、この住宅に竹内てるよという作家・詩人が住んでいた。
戦前・戦後には東京にいて、人気のある詩集も出版するなど、結構文壇では知られていた存在であったが、猿橋の町民はその事をあまり知らなかったと思う。
しかし、私は小学生の頃からその名前を知っていた。
ひとつには、小学校の時、担任ではなかったが女教師の一人がが結婚してこの住宅に住んでおり、何かの用でそのお宅へ伺った。その時に竹内さんの事を知った。顔も見掛けた事もある。
それよりもっと竹内さんの事を意識したのは次の理由であった。
それは、6才上の兄と関係する。 兄は成績が良く、柔道も野球もやっていた自慢の兄だったが、高校時代に文学に傾注し、勉強そっちのけで都留高の同人誌「鶴声(かくせい)」に投稿したりして、三文文士気取りで文学活動をしていた。
そしてそれが昂じて町内に住んでいた竹内てるよさんの家に出入するようになっていたからだ。
大学受験を控えていたので、毎日のように竹内家へ出かける姿を父母も大いに心配していていた。 同好の士と集まり、お互いの作品を評価し合ったり、文学論を戦わせていたのであろう。
高三の時、やはり「文学」への関わりりを捨てる事が出来ず、案の定、大学受験に失敗、浪人生活を余儀なくされた。
兄はその後、文学への道を諦め、結局別の道、税務のプロとして歩むことになり、晩年は税理士として下のような著書も残している。
猿橋時代の竹内てるよさん | 兄 直(ただし)の若い頃と著書 | |
平成29年(2017)3月 80才で没 |
当時は何となく兄を取られてしまったような、道を誤らせてしまった人のように思い、良い印象を持っていなかった。
それから10数年、父母が新たに家を建てることになり、撰んだ土地がその竹内さんの住んでいた場所のすぐ近くだった。 父母も兄も、その事に感慨もあったのであろうが、そのことについて聞いた事はない。
その後、竹内さんの事は忘れてしまっていたが、平成14年(2002年)、スイスのバーゼルで開催された交際児童図書評議会(IBBY)の創立50周年記念大会で、当時の美智子皇后がスピーチのに中で、竹内てるよの「頬」を引用した事から、テレビでも紹介され、翌年6月には自伝ともいえる「海のオルゴール」がドラマ化されて、6月28日にフジテレビで放送された。