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甲陽猿橋之図 安藤広重
ご存知、広重の有名な浮世絵
広重が猿橋を訪れたのは天保14年4月4日(新暦)とされるが、この絵は本当に猿橋を見て描いたのかどうか、季節や時間、視角など細かく検証した面白いサイトがある。
       広重再考
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六十余州名所図会
甲斐さるはし
安藤広重
広重が日本全国の名所を描いた浮世絵木版画の連作のひとつ。
嘉永6年(1853)から安政3年(1856)にかけて制作された広重晩年の作品
前景を大きく描き、遠近感を強調したり、大胆なトリミングを施すなど、斬新な構図がとられている。
五畿七道の68ヶ国および江戸からそれぞれ1枚づつの名所絵に目録を加えた70枚からなる名所図会で、甲州からは猿橋が選ばれている。

頒布の説明書
日本名所図会 猿橋
泥絵で描かれた猿橋
泥絵
 江戸時代から明治時代にかけて描かれた浮世絵の一種。
 顔料に胡粉を混ぜ、直接筆を用いて不透明な色調で描かれたもの。胡粉絵とも。
猿橋の風景 落款は
「葛飾戴斗」

「戴斗」は葛飾北斎が晩年(文化7年から文政3年)に用いた号。
文政3年、門人に号を譲り、二代目戴斗を名乗らせた。
この絵を北斎作とする説と、二代目戴斗作とする説がある。
甲州道中猿橋図
日本地誌略図
猿橋之図