明治天皇行幸随行記(みとものかす)抜粋
明治13年の明治天皇山梨県行幸に随行した宮内省御抱えの学者池原香穉(いけはらかわか)が命によって随行記を書き記し、明治15年に上梓した。
全文が変体仮名を多用した擬古文(古い時代の文体にならって書いた文章)で書かれ、全5巻の大部である。
このうち、猿橋通過の部分を抜粋して解読を試みた。
随行の絵師が画いた猿橋の図 |
解読文(書き下し文)はこちら
内容概略
明治13年6月18日朝、上野原の行在所を出発、9時半に鳥沢着
天皇は井上清武宅で昼食、池原随員は白須太左衞門宅で昼食。
午前11時頃 猿橋着。 橋畔の猿橋警察署で休憩。
・橋を渡り、橋上から周囲の景色を見る。
・下に見える滝(おもいでの滝)と川の景色を「筆にも詞にもおよぶべきにあらず」と絶賛
・橋の下で猿橋の構造を見て「目をおどろかす」と表現
・同じく三奇橋の一、錦帯橋との比較論
・桂川に葛野川が合流する、その向こうに岩殿山の景色を「いといみじ(美しい)」と。
この後、天皇は「輿」から「馬車」に乗換えて大橋駅(大月と駒橋の合宿)へ。
進行右側に常に見える岩殿山の歴史に言及
大月橋の近くにある滝を見て「都の近くにあれば名所になるのに・・」と
花咲宿では甲斐絹の織物工程を視察。
など
(この日は笹子の旧名主宅が行在所)