大阪朝日新聞 昭和6年(1931)2月4日の記事
明治37年7月、煙草の製造、販売まで含めた煙草の統一的専売制度を敷いた。
この専売局の製造品を一般商人に、売り渡す機関としての元売捌業者がこの年に任命された。
その数は最初は全国で100足らず、1ヶ年の売上げも1480万円にすぎなかったが、昭和6年には全国で448人の売捌人が年間2億8千万円を超える煙草を売り上げている。
元売捌人の利益は約240万円に達している。 もっともこれは元売捌人の居住地方別により一等地の利益率定価の1割1分8厘から8等地の1割6分までの8級に分けられているが、この中には小売商の利益1割1分も含まっているから正味元売捌人の懐に入る利益は8厘〜5分である。
利益率は低いが煙草の売上げが大きいので収益金も多。
このほか2ヶ月まで許されている延納金の金利や馬鹿にならないのは煙草包装紙、木箱などの売却金などを算用に入れれば眼に見えない利益が浮き上って来る。
元売捌人の資格は?
元売捌人は小売商などと同じく専売局の指定によって許可、期限は3年据置、担保として公債で約2ヶ月分の買受代金に相当する額(通常約11万円見当)を国庫に納入するが、これも時価8掛程度のものを額面通りチャント納入させてくれるから元売捌人にとっては銀行頂金以上に利廻りがよく、地方では煙草の元売捌をやっているといえば随分と巾の利く信用を伴うので、これまでかなり有利な商買であった。