嘉永4年架替
文政9年(1826)に架替から25年を経た嘉永4年(1851)、大規模な架替が行われている。
この架替工事の大概を記録した「出来帳」が奈良家(奈良幸子 金沢商店か?)にその詳細が記されている。
佐々木道太郎当分御役所 甲州都留郡 二百四十六石一升五合 猿橋宿 甲州道中 桂川通 字猿橋 一、刎橋 長さ17間、巾1丈1尺 一ヶ所 是は前々御普請所にて21ヶ年目掛替御普請 仰せつけられ来たり候処、近年文政9戌年、 吉川栄左衛門支配の砌り、掛替御普請仰せ付けら れ、その後天保8酉年、西村貞太郎支配の節、 行桁上御修復仰せ付けられ候処、年来相立ち、 木品朽腐候につき、掛替御普請仰せ付けられ候 右仕様 |
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