山王社祭神「猿王」像の由緒

 猿橋橋畔の山王、橋掛山王権現は宝暦6年11月創建とされる。

  
 
 甲斐国志巻の72、神社部第7下に
  桂川の南岸、橋詰にあり、小社橋の鎮守なり
  除地3升9合
 とある。

 神社創建の際、猿の木像が奉安されているが、そのいわれについて、仁科義比古氏の「猿橋年表」には次のように述べている。

  古来、猿は万獣中、智慧第一なる事より、山の王となし、殊に猿橋はその架設始原の伝説に見るも、これを祭祀とする事は自明の理なり。
  猿は日吉神の御使いなりと称するところより、橋掛山権現と尊称、橋畔に祭祀し、祭神を猿王として祭日も日吉神社に従い14日とする。

  当町の山王権現祭祀の創始は分明ならざるも、既に中古以前の事なるべし。
  現今奉安せる猿王像三基の内、最古なる一基は既に手足朽損、脱落して形骸のみなり。
  これは宝暦6年子11月吉日奉安の像なり。(181年前)

     宝暦6年(1756)を181年前としているので、この記事が書かれたのは昭和12年(1937)頃と推定

  以下、二代目、三代目の木像について詳細に述べられているが、要約すると下表のようになる。  
  
  
なお、現在は三代目は小柳町の子供神輿に譲られ、新調された四代目になっているという。    

一代目
宝暦6年子11月吉日奉安 (181年前) 

既に手足が朽損、脱落して形骸のみとなっている。


材質 檜
  1尺5分
座  長径 5寸
   短径 3寸

作者 武州玉郡下大久野村
          ぬしや 幸八信孝                             
二代目
天明3年(1783)3月19日 奉安

 材質
    1尺5分

 台座箱中裏書墨書 裏正面  武州玉郡下大久野村
                 ぬしや 幸八信孝 花押                       宝暦6年子11月吉日

          裏   再建 天明3卯年3月19日宮入
                 仏師 甲府八日町
                    大下左京
               並びて
                  文政13庚寅年6月14日
                 大仏師
                    葛野 鈴木半七 修理           
          裏側面  天保12丑年6月吉日
                 江戸四ッ谷伝馬町2丁目
                   仏師 吉見鉄五郎 修理

   昭和11年の夏祭りまで96年間奉安、渡御に使用
         (註 計算があわない)
三代目 昭和11年 再彫

  材質  檜
     1尺6寸7分
  座   長径 9寸2分 り文政13年6月14日


  彫成者     池上祐太郎
          池上 昇運
四代目   ? 年新調
 三代目は小柳町の子供みこしに譲られた。