北都留郡役所

明治11年12月、それまでの大区小区制を廃止、県下4郡(山梨、八代、巨摩、都留)を9郡に分割、都留郡は北都留、南都留に分けられた。
各郡に郡役所を置くことになり、多くの郡役所は郡内第一の商業集積地に設置されたが、つぎの例外もある。
・中巨摩郡でが商業集積は小笠原がトップであるが、郡役所は竜王に設置
・北都留郡の商業集積は上野原が最大であるが、郡役所は猿橋に設置された。

北都留郡では、その当時、上野原の商業機能が集中し、大原村(猿橋)を圧倒していた。
江戸時代、猿橋にかってあった市場の再興願が、谷村と上野原の反対で実現できなかった事と関係があるだろう。
しかし、上野原は北都留郡のなかでは東端にあたり郡西部の村々からはきわめて便がよくない。
結局、北都留郡役所は郡のほぼ中央、大原村猿橋に置かれることになった。
この決定が猿橋に明治、大正期の繁栄をもたらすことになる。


      「山梨県における明治前期の中心地システム」 河野敬一 より

北都留郡役所は大原村猿橋566,567番地に設置される事になった。 現在猿橋中学校の位置である。

明治14年8月、庁舎を新築、敷地584坪には本館平屋建坪96坪、土蔵建坪7坪が建設された。
明治36年には郡長官舎、平屋22坪余を建設、大正3年、本館を瓦葺に改修している。



郡役所遠景   周辺に官舎などがある。
        左上隅は心月寺  右上、白い建物は猿橋警察署



郡役所へのアプローチ

 役所は今の猿橋中学校のグラウンドの中央くらいの位置に作られた。
 甲州街道からの階段が一直線にこの郡役所正面まで続いていた。
 現在、猿橋中学校への石壇は最後の所で右に直角に曲がって校門に達するが、これは校庭拡張後に付け替えられて階段である。


  
大正13年当時の在勤職員は次の通り。
   郡長         1名
   郡書記       10名
   郡視学        1名
   産業技手       1名
   在勤県産業技手    1名
   雇          1名
      合計     15名

 同じく大正13年当時の郡役所経費は14,511円、他に勧業費1199円という記録が残っている。


歴代郡長  


郡会議員
  大原村選出の郡会議員は杉本儀作氏作