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「猿橋会談」あるいは「大黒屋会談」を紹介する外部サイト
   
   日立製作所創業者 小平浪平

   日立創業前夜(日立社友クラブ)大黒屋会談

   「小平浪平」国産自主技術にこだわり続けた男   

大黒屋会談と日立製作所 (この項、一杉勉氏の史料収集による)

明治39年7月15日、猿橋橋畔の大黒屋旅館に、当時東京電燈(現東京電力)の技術者小平浪平と逓信省の逓信技師の渋沢元治が会談、我国に電気製作事業を起こそうと語り合った。
これが後に日本最大の電機会社「日立製作所」の設立につながったという。

日立製作所史1(日立製作所臨時50周年社史編纂部編)の巻頭(写真下)に、渋沢元治の側からの「猿橋会談」の模様が詳しく書かれている。
これによると、渋沢元治と小平浪平は明治33年東京大学電気工学科の同級生で、所用で甲府へ向かう渋沢が飯田町(当時の中央線始発駅)で甲府行の列車に乗ったところ、車中偶然小平浪平に出合った。
小平は社用で駒橋発電所へ行くため、猿橋へ宿泊予定だった。

ひさしぶりに逢った二人は話に花が咲き、たちまち猿橋に着く時間になった。
小平が「もっと話したい、相談したい事もあるから」と渋沢に猿橋で途中下車をすすめ、渋沢も同意して猿橋橋畔の大黒屋に泊った。

川の音しか聞こえない静かな宿での話は深夜まで及んでだ。」
小平は「外国から機械を輸入してそれを修理・維持するだけでは面白くない、国産の電気機械を作りたい」という夢を語った。

後に小平は東京電燈を辞め、やがて久原興行日立鉱山に移り、その機会の修理製造部門が独立して設立されたのが、現在の日立製作所である。

     日立製作所史1 の巻頭

 現在大黒屋の橋側の壁面に下のような色鮮やかな陶板で出来た説明版が設置されている。
 日立創業80年を記念して、日立工場「特称会」から寄贈されたという。。