都留電灯株式会社

都留電灯株式会社は大正期の郡内では最大の企業だった。

駒橋発電所が出来たが、ここで発電された電力は東京方面に送られ、地元へ供給されなかったので、地元の有力者が会社を設立、駒橋発電所から400キロワット、八ツ沢発電所から300キロワットの電力供給を受け
これを都留郡内で販売、付随する電気器具販売や配電工事などを担当した。

大正11年の町並絵図によれば、猿橋44番地(以前富士急行の営業所、車庫があったところ)に見えるが、同社の閉鎖登記謄本(一杉進氏所有)により、設立、役員、解散など同社の沿革の一端が明らかになった。

 

都留電燈(株)の本社前で経営者、社員などの集合写真 (網野良男氏提供)


閉鎖登記謄本(一杉進市所蔵)

謄本記載事項はこちら


これによれば初代社長には上野原出身の実業家藤田胸太郎が就任し、本店を猿橋に、支店を上野原においた。
藤田胸太郎は、県会議員、上野原町長、衆議院議員などの公職を勤めながら、北都留郡甲斐絹同業組合長、都留電灯(株)社長なども勤めた、当時の郡内の実力者だった。

・商号    都留電燈株式会社 
・本店    北都留郡大原村猿橋199番地
・支店    北都留郡上野原町3282番地
・目的    電灯および電力を供給し、電気工事の請負ならびに電気機械器具の販売
・設立年月日 大正2年8月24日
・資本の総額 10万円
・一株の金額 12円50銭
・取締役   社長 藤田胸太郎(上野原町)
          小林亀麿(初狩村)
          細田実(島田村)
          藤本健次郎(富浜村)
・監査役      藤田重三郎(厳村)
          奈良熊吉(大原村猿橋431、後に62番地)
          天野延太郎(広里村)
・存立の時期 満25年

 本店があった場所は猿橋199番地、小柳の裏通りであるが、大正11年の地図には該当の場所に「都留電灯」の記載がない。
 おそらく199番地は登記上の住所で、実際の事業所は橋の近くの中心街(横町)にあったという事だろう。


  拡大図
 



 その後の経緯
  ・大正12年、別会社ではあるが同じ住所(199番地)の都留電力を合併、資本金を20万円に増資

  ・大正14年、本店所在地を猿橋49番地に移転

  ・取締役、監査役は幾多の異動があったが、猿橋関係では
    ・大正7年、奈良重威(大原村殿上357)が取締役に就任
    ・昭和2年、監査役奈良熊吉死亡により、後任に吉川実治(大原村猿橋197)が就任
    ・昭和10年、奈良重威、社長に就任
   など。

  ・昭和16年6月、本店を猿橋44番地に移転



  ・昭和16年8月、営業全部譲渡により解散を届出。(譲渡先は東京電力の前身関東配電と思われる)
   解散時の役員は次の通り

・役員
   取締役社長   奈良重威(大原村殿上357)
   取締役     山口延勝(棡原村)
           藤本健次郎(冨浜村)
           加藤角太郎(大鶴村)
           小林甲子郎(初狩村)