網野家の略史
武田信玄は甲州各地の豪族、土豪を次々に支配下において「武田王国」を完成、やがて近隣の国々に進出、勢力拡大していった戦国大名の雄であるが、網野豊後守、網野新五左衛門などの網野氏は、塩山の西北、三日市場という地域の土豪としてその土地を支配し、武田家の一翼を担っていた。
現在もこの地域には網野氏屋敷跡、網野新五左衛門屋敷跡などが三日市場付近に残っており、菩提寺はやや北にある恵林寺で、今も墓所があるという。
網野家屋敷跡についてはこちらを参照」
武田家の滅亡後も網野家は代々この地に住み続けた。
網野家の歴史については、網野良男氏の依頼で2008年に田代孝氏の調査結果がある。 田代氏の調査結果