小学校写真の方角検証
網野良男氏から提供された「猿橋小学校の古い写真」について、少し違和感を持ったので検証してみた。
まず背景の扇山が校舎のほぼ真後に見える事に違和感を持った。
ふたつめの違和感は教練?を受けている生徒が小学生らしくなく、現在の中学生くらいに見える事だ。
まず扇山の見え方について。
小柳にあった旧校舎の真後は百蔵山である。(下の写真参照)
地図上で検証すると、下記のように扇山は東北方面にあり、百蔵山のように真後に見える方角ではない。
扇山を後背に持つのは鳥沢小学校ではないかと思い、検証した。
しかし、鳥沢小学校の後背には標高約690mの山(山名不祥)があり、扇山の右側は隠れてしまうので、当該の写真のようにはならない。
さらに宮谷小学校だったら扇山がどのように見えるか調べて見ると、下の写真のように、既に扇山の裾野に位置しているので、扇山が近く見え、当該写真とは大きく事なる。
やはり猿橋小学校か、と思い直し、再調査してみたら下のような写真が出て来た。
猿橋小百周年記念誌「蛍雪百年」に掲載されていた写真で,年代も不祥のまま掲載されていた。
これと当該写真は、屋根、窓の形状が非常に良く似ており、樹木の位置などの共通点も多い。
やはり猿橋小学校だった。上の写真も、当該の写真も下記の校舎全景の一部分をなすものである事がわかった。
扇山の見え方についても、良く見なれた仲町通りの扇山の方向感が強かったための誤解だとわかった。
国道20号線は、町内で藤崎、小沢方面への道が分岐する所(旧町役場があったあたり)で大きく屈折している。
仲町通りでは道が東北に向き、扇山は国道の延長線上に見えるが、小柳では国道がやや東南東に向いているめ、見方によっては扇山が建物の後方に見えることもあるのだ。
もうひとつの疑問、教練を受けている生徒が中学生くらいに見えること。
これは、下記のような事情があった。
明治20年、北都留郡立高等小学校が大原村(現在の警察官派出所あたり)に設置され11月23日に開校
明治25年、郡立高等小学校が廃止となり猿橋高等小学校(大原、賑岡、七保、富浜の4ヶ村組合立)に改組
明治29年、寿町関屋にあった猿橋尋常小学校が小柳の新校舎に移転、しかし4,5年生は高等小学校に同居
明治41年、高等小学校を廃止、猿橋尋常高等小学校の高等科となる。
明治42年、校舎増築なり、高等科および尋常科5,6年も小柳校舎に集結
つまり、明治42年以降は猿橋尋常高等小学校に、現在でいえば中学生にあたる学齢の生徒がいた、ということで
ふたつめの違和感も解消した。
以上のごとく、ふたつの違和感は解消、該当の写真はまさしく猿橋(尋常高等)小学校の写真であった。