仁杉五郎左衛門研究      
 仁杉五郎左衛門は仁杉家9代目として天明年間に生まれ、享和元年に15歳で南町奉行所与力となりました。
 牢屋見廻役、養生所見廻役、本所見廻役などを勤めた後、天保初年には与力の最高役職である支配与力・年番方に就任し、折からの天保大飢饉に苦しむ江戸町民のため、お救い小屋運営やお救い米の調達などに尽力しました。
 天保12年、妖怪とも言われた鳥居耀蔵(後に甲斐守)が、矢部駿河守を南町奉行の座から追い落し、自らがその後任奉行となるため、5年前のお救い米調達で不正があったと告発しました。 そして「でっちあげ」ともいわれる罪で矢部を配流、改易に追い込みました。
 この事件に連座した五郎左衛門は、捕われの身となり天保13年正月、獄死を遂げます。 五郎左衛門の二人の息子も三宅島、八丈島へ流罪となり、ここに仁杉本家は断絶となりました。

 このサイトではこの天保お救い米事件の真相に迫るとともに、砲術や趣味の世界でも事跡を残す五郎左衛門の生涯を追って行きます。