猿橋人物伝
「大月人物伝」という本がある。
平成20年に日本ステンレス工業株式会社が発行した。
同社が発行している「住まいル新聞」に掲載してきた人物伝をまとめたもので、大月人物伝編集委員会が選定した65人について、その略歴が掲載されている。
大庭信子さん提供
選定の基準や公平性はわからないが、この中に選ばれている猿橋に関係する人物は下表のとおりである。
2 | 天野薫平 | 笹子の人、吉ヶ久保村名主、笹子駅陸運会社惣代、県会議員、初の衆議院議員。明治45年、猿橋電気株式会社発起人代表、笹一酒造社長 |
10 | 梅沢敏雄 | 田中の生まれ、東京で大八車に野菜果物を積んで売り歩く「引き売り」で成功。出征復員後、漬物卸梅沢商店を設立、後に株式会社やあうに改組。 |
13 | 長田俊興 | 富浜村生れ、都留中、山梨師範卒業後、猿橋小学校訓導(教諭)を皮切りに郡内各地の小学校に勤務する傍ら文芸活動を行い、「逍遙」を発行 |
37 | 竹内てるよ | 北海道生れの詩人、戦後猿橋に移住、40数年の間、舟久保住宅に住み、96歳で死去。 竹内てるよのこと |
39 | 仁科義男(義比古) | 強瀬の生れ、明治薬学校卒業、猿橋に仁科薬局を開業。考古学で数々の業績を残し,山梨県考古学先駆者となった。猿橋幼稚園開設。 |
42 | 幡野弘毅 | 島田村生れ、猿橋の幡野家の聟養子。北都留郡役所の書記から郡長代理、北巨摩、南巨摩郡長、島田村長など歴任、漢詩文や絵画に秀でていた。 |
43 | 花田龍渓 | 郷土画家。染布業を営む叔父の家業を継ぎ東京工業で染色法を学ぶ一方、絵画を学び大正にかけて活躍。明治30年大原村村長。 |
49 | 藤本巌 | 藤崎生れ。甲斐源氏小笠原長清の10男藤崎十郎源行長の末裔「藤崎の大家」の35代という。日本甲冑・武具研究保存会会長。 |
56 | 村上雅則 | 下和田生れ。猿橋中出身の「日本人初の大リーガー」 |
61 | 吉川生雄 | 吉川書店、通称「活版所」に生まれる。家業は弟にまかせ、詩人として、又吉川書店内で鈴木三重吉主宰「赤い鳥」の編集、童謡集の発行など。 大月人物伝 |
この外に「住まいル新聞」には
世界を巡る成蹊大学教授 大石五雄 続き
幕末親子二代の漢方医 藤本義利・義方
郡内華道の大先輩 奈良薫
などが掲載されている。