第十銀行猿橋支店
まだ新猿橋が架かっていない大正時代、猿橋警察署の隣りに第十銀行の猿橋支店があった。(下の地図および写真A参照)
第十銀行は、明治10年の設立、国立銀行の9番目の設立で、本来なら「第九国立銀行銀行」となったはずであるが、「九」が「苦」に通じるということで忌み、「第十銀行」という名称になった。
第二次大戦の「一県一行」の国の指導で、昭和16年に有信銀行と合併して山梨中央銀行になったという。
大正13年当時の地図
第十銀行猿橋支店は明治12年4月に開設され、その後山梨中央銀行猿橋支店となった。
新猿橋が架橋された昭和7年前後に猿橋橋畔から現在地(寿町)に新築移転した。 往時は石造りの荘重な建物であったが、現在は近代的な建物に改築されている。
猿橋支店の歴史
山梨中央銀行創立50周年記念誌(平成4年発刊)より
第十銀行県内最初の支店 猿橋支店
第十銀行50周年記念誌(国会図書館蔵)によれば、猿橋支店は東京支店の次に開設された県内最初の支店。
明治32年に竜王支店が開設されるまで約20年間、県内唯一の支店だった。
大月支店の開設は47年後の大正14年。
第十銀行設立時の株券(50周年記念誌)
猿橋支店 歴代の建物写真
写真A 初代 橋際にあった第十銀行猿橋支店(昭和2年当時) 右隣りに猿橋警察署の白い柵、左側に当時の自動車が見える 現在の猿橋支店内に展示の写真 |
写真B 2代目(昭和7年〜42年) 建物の写真を探しています。 |
写真C 3代目(昭和42年〜 ? ) |
写真C 4代目 現在の中央銀行猿橋支店 (google mapより) |
なお、都留市史編纂委員会誌には、谷村商業銀行猿橋支店設置の記録がある。
谷村商業銀行は明治32年創業、翌年営業開始。
猿橋支店の開設は明治34年1月15日であるが、同行の歴史(下記)によればわずか2年で廃止になっっている。
その後、大正9年の大恐慌で、郡内の織物業が大きな打撃を受け、これらを主要取引先としていた谷村商業銀行も経営が急速に悪化した。
昭和2年、第十銀行に吸収合併となっている。
猿橋支店の設置場所は大原村(猿橋)639番地ということであるが、この番地は現在見当たらない。
近い番地を調べると、霞町の道路と桂川の間の地域が630番台である。
昭和初期、新猿橋架橋のため、霞町の道路は拡幅、切り下げが行われ、桂川側の建物は立退となっている。
猿橋北詰 参照
谷村商業銀行の歴史
明治32年7月15日
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谷村町408番戸に設置する。 |
33年 5月22日
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営業開始(当初資本金20万円)、頭取磯弥平・取締役牛田五朗・横内又蔵・渡辺福家、小林亀磨、監査役小池利八・西村嘉吉・程原誠一 |
33年 8月 9日
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船津支店を船津村199番戸に設置 |
34年 1月15日
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猿橋支店を大原村639番戸に設置(明治36年1月20日廃止)、上野原支店を上野原町第263番戸に設置。 |
37年 8月11日
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本店を谷村町下谷第12番地の2へ新築移転(現在の箕田時計店所在地) |
大正3年 6月13日
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禾生出張所を古川渡526番地に設置。 |
4年 4月 6日
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大月支店を広里村大月348、349番地に設置。 |
6年 5月 6日
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吉田支店を瑞穂村下吉田363番地に設置。 |
7年 5月 2日
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禾生出張所を禾生支店とする。 |
昭和2年 3月20日
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(株)第十銀行へ合併し、第十銀行谷村支店となる。 |
16年12月 1日
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(株)山梨中央銀行谷村仲町支店となる。 |
17年 2月 1日
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廃止 |