架替中の仮橋

1)すぐ近くへ仮橋

  
 普通は既存の橋の近くに仮の橋を架ける。しかし猿橋の場合は地形的に場所はそれほど選択肢がない。
 ひとつはおそらく現在の新猿橋の下、「まわり淵」の岩の上だろう。
 ここは中世に「古猿橋」が架けられていた場所であり、川幅が狭く、両岸からアクセスする道もある。
 但し馬や駕籠での通行は困難だったろう。交通量の多くなった江戸後期にはこの仮橋は実用的ではない。
 (猿橋の歴史 参照)

2)下流に設ける仮橋
       (猿橋架替工事報告書(大月市)より)

 嘉永の架替の時は下流に仮橋を設けた。
 形式は長さ30間(54m)、巾7尺(2.1m)のいわゆる「土橋」である。
 「蛇腹」をいくつも重ねて橋脚のかわりとし、これを川中に数ヶ所設ける。
 その上に橋桁を架け渡し、莚を敷いてその上に土砂を敷き詰めたもの。
 水面からそれほど高く作れないので、川の水量が増えると、すぐに流失の憂き目に遭った。
  
 下図は猿橋と、仮橋の位置関係を示したもの。猿橋宿への通路は描かれていない。
 
    嘉永時代に描かれた「仮橋」の位置、構造
                    嘉永架替出来帳の図面を昭和7年10月に書写(仁科氏) 



仮橋の構造


現代地図上の仮橋の位置および連絡道  (架替工事事務所作成)

    ( 推定   A 旧公民館   B 白猿座    C 真渡橋 )

仮橋のかけられた所は「ウメツボ」の少し下、少し「瀬」になった所で、昭和時代には「アンマ釣り」を楽しんだあたりか?