猿橋関連古写真 (暫定のページ。 順次関連ページに移行予定)

郡内地方の写真集(下記)から、猿橋の懐かしい、貴重な古写真を集めた。
   A 目で見る郡内の100年   後藤義隆  郷土出版社   1993年
   B 山梨100年              山梨日々新聞社 1989年
   C 郡内の昭和               樹林舎     2019年
   D 郡内の今昔写真帖
            郷土出版社   2008年
 

猿橋競馬場 最後の日(A)
 猿橋競馬場 閉場(昭和5年)
 最終日の記念写真

 当時の猿橋の名士達であろう

   猿橋競馬場 参照
猿橋商店街(D)
 猿橋の商店街(昭和37年頃)

 柏屋商店前あたりから西方面
 商店街が活性化のために設置した街頭「すずらん灯」が見える。

 左側靴や軍手の看板が見えるのが柏屋、自転車を置いてあるのがみのり美容室
 その奧「亜鉛・・」の看板が見えるのが木林商店。

 右側は三枡屋、 叶屋、須賀屋などが続く。その先大きな建物は亀屋か。

 奧に山崎パン店の3階建が見える。

 道路右側、五ヶ堰には蓋がしてある。

 背景は三皇山
猿橋商店街2 (D)
 猿橋の仲町商店街(昭和37年頃)

 仁科薬局前あたりから東方面、扇山は霞んでいる。
 
 ヤマハの看板があり、オート三輪(ミゼット?)があるのは仁科自転車店前か。

 左側、橋本商店、須賀屋、2階に白いバルコニーが見えるのが叶屋、その奧に白っぽい建物が郵便局、黒い建物は志村さん。
上記とほぼ同じ地点から平成20年の写真
 
地震で傾いた猿橋警察署(B)
関東大震災で傾いた猿橋警察署。瓦屋根が一部崩れている。
(大正2年)

   猿橋警察署 参照
猿橋町制施行を祝う仮装行列(A)
昭和10年、大原村が町制施行、猿橋町となった記念の仮装行列(昭和10年)
猿橋山王宮遷座式社(A)
昭和11年?


現在の山王宮と神輿

富士山麓バスのボンネット型バス(D)

 
 富士山麓電気鉄道(株)のボンネット型バス。
 横町にあった営業所を拠点に同型のバスが走ってい

 戦前の富士山麓電鉄のバス 


 終戦後しばらくは木炭車が煙りをあげて猿橋の国道を走っていた。

 
駒橋発電所の技師達 (B)  外国人も招かれていた。
 駒橋発電所に招かれた外国人技師達はどこに滞在していたのだろうか。
 発電所の開設は明治末期。まだ富士山麓電鉄が開通する前なので、大月には旅館も少ない。
 おそらく猿橋の旅館に宿泊したのであろう。
街角の紙芝居(C)
 これは谷村の写真だが、猿橋にもこのような自転車の紙芝居が良く来ていた。

 娯楽に飢えていた子供達がたくさん集まった。
 中には何も買わない「ただ見」もいた。

 小さな子を背負った女の子も熱心に見ているが、背中の子はよそを見ている。
北都留郡連合婦人会の講習記念(C)
10 昭和22年、北都留郡下18ヶ村の婦人会が連合し、北都留連合婦人会が発足
写真は昭和29年に行われた講習会の記念写真
画角から見て国道からの撮影

現在の橋の幅に注目



大正時代の猿橋
11 新猿橋の架橋前なので、この橋が幹線。
木造の猿橋は今より幅も広く、馬車も、大八車も、自動車もこの橋を渡った。
橋上に見える人達は皆和服だ。





12 新猿橋 渡り初め (開通式)
 昭和8年、木造の猿橋が自動車が普及しつつある交通事情にそぐわないため、少し上流に鉄骨の新猿橋を架橋。
 この架橋のため、猿橋の橋畔にあった猿橋警察署、第十銀行猿橋支店などが立退き移転を余義なくされた。

 写真右側の白い親柱は今もその姿を変えていない。 



梨木台地から見る猿橋の町並(A)
13  梨木から見た猿橋全景。中央線開通前か。
 新猿橋なまだなく、中央上に猿橋警察署の白い建物が見える。

 まわりぶち右側に大きな「入江」が見える。
 昭和後期、大水の時以外は「入江」はこんなに大きくなかった。

 大布屋、大原村役場(後の警察派出所)、七軒長屋、杉本染物店などの建物が見える。

14
猿橋旧駅舎前(D)
15  お揃いの浴衣でどこかに出かける前の記念写真か?

  猿橋駅

駒橋厄王院入仏式(A)
16 旧甲州街道沿いにあった「神社」
写真手前が甲州街道
昭和30年頃、ここの節分豆まき(だったと思う)に現役の横綱鏡里が来た。


現在の厄王院

手押しポンプに代わる自動ポンプ導入記念
17  昭和9年頃、手押しポンプに代わるガソリンエンジン式の自動ポンプが導入され、火の見櫓も鉄製に代わった。
 これは笹子の写真だが、仲町の消防小屋(消防会館)にこんなポンプ車が格納されていた。
葛野川の大洪水
18 (A)
                         
                        (B)

 (C)            
 葛野村は集落と葛野川の水面があまり差がなく、大雨が降ると洪水の影響を受け易い地形。
 道路整備で嵩上げされたため、道路面が家よりだいぶ高くなってしまった。(B)
 大月の三品屋の電柱広告が目立つ。

 昭和10年9月、5日間も降り続いた大雨で上流の六角沢から押し出された山津波が葛野集落を襲い、死者行方不明19人など、多大の被害となった。(C)
19 昭和39年 東京オリンピック 聖火リレー   猿橋での引継の様子