更新ニュース

・猿橋幼稚園を訪問、元園長仁科義民氏の御夫君仁科義比古氏の著作物を見せていただいた。
 このうち「猿橋年表并雑纂」というスクラップブックをお借りしてPDFで保存することにした。
  ・昭和27年の掛替工事 を新設
 
 ・山王社の猿像由緒
 を新設 

・仁科喬男さんの情報により猿橋大火の記事を更新。 災害の歴史  火災

・仁科義民さんの協力を得て「猿橋幼稚園の歴史」を新設

・仁科義男(義比古)氏編集の「甲斐の猿橋」(国立国会図書館 蔵)を紹介

・一杉進さんから情報提供があったので第十銀行猿橋支店を更新した。

9月9日の集会に参加された大月市観光ボランティアガイドの鈴木きぬ江さんから貴重な史料の提供があった。 鈴木きぬ江さん提供資料参照

・伊藤征雄さんから、猿橋小学校の歴史に関する史料提供があったので、更新した。 
 
明治中期、関屋にあったとされる猿橋尋常小学校の所在地を検証した。また一時、八百六さんのあたりに小学校があった事もわかった。
 
珍しい写真満載である。

霞町の遠山歯科の西側に行き止まりとなっている旧街道の名残がある。現地を取材したので霞町の袋小路に紹介する。

江戸時代から現代まで続いた猿橋の運送業者の変遷について紹介する。

・水越孝之氏から提供があった大正期の町並図のうち、横町にはもうひとつのバージョンがあったので紹介する。

・昭和7年の新猿橋架橋前に内務省が猿橋近辺の実測平面図を作成していることがわかった。
 新猿橋架橋で猿橋警察署などの既存の施設、建物がどのような影響を受けたかを知る良い史料なので「新猿橋」で紹介する。

・甲州で唯一の戊辰戦争である「勝沼戦争」で勝利した板垣退助率いる官軍が猿橋宿に宿泊したことを示す古文書
 (伊藤征夫氏所蔵)の提供があった。
 大変興味ある内容で、本陣、脇本陣以外の猿橋宿の旅籠屋の名前を知ることができる。同じく新撰組の動きと合わせて紹介する。
     官軍の宿泊記録

・国立国会図書館に、猿橋尋常高等小学校編による昭和10年の「学校経営の現状」と「猿橋町の町勢」に関する冊子が所蔵されていた。
 猿橋小学校創立直後は心月寺に、その後関屋の奈良五右衛門宅を仮用、小柳の校舎完成は明治37年だったという。
  昭和前期の猿橋と「猿橋小学校」参照。

・猿橋宿の本陣の所在地については二説があり、はっきりしなかったが、今回、藤本紘氏所蔵の明治初期土地絵図(公図)
 および水越孝之氏所蔵の明治期、大正期の猿橋絵図を見せていただき、本陣、脇本陣所在地の検証を試みた。
 実は二説とも正しく、幕末に起きた意外な騒動が本陣の移動に大きく影響していた事がわかった。猿橋宿本陣所在地検証
     
・水越孝之氏所蔵の明治期の猿橋の町並図をご提供いただきましたので取敢えずpdfで掲載しました。明治町並図

・水嶋義雄氏作成の「大正初期の猿橋町並図」(水越孝之氏所蔵)をpdfで掲載しました。大正初期の町並図


・最近入手した史料、絵図から新猿橋架橋前の猿橋北詰の地形を検証しました。