更新ニュース

更新記録

  ・「あの店この店小史」に大布屋の歴史・由緒を紹介した。懐かしい写真が公開されている。
    左メニューよりお入り下さい。
2月 
  ・旧猿橋尋常小学校の校舎が関屋に移った頃の登記簿謄本を入手した(一杉進氏)。これによると猿橋143番地にあった建物は
      1階、2階、3階とも34坪の大きな建物だった。(明治31年12月39日登記) 猿橋小学校 参照
2025年1月
  ・和田電業社長和田功氏から提供された書籍「郡内電力史〜灯」を紹介した。参考文献の紹介郡内電力史 参照
   郡内地方の水力発電事業史であるが、後世に残すべき貴重な史料集である。都留電灯、五ヶ堰などの記述もある。
  ・明治末期に猿橋警察署長を勤めた網野光敬氏について孫の良男氏から追加の資料提供があったので
   網野光敬氏の略歴をまとめた。
  ・梨木から見た猿橋全景の絵葉書は既に掲載済であるが、この高精細な写真が発見されたのでので、出来るだけ多い
   画素数で公開する。
        高精細な猿橋の町並写真
   小柳の町並が精細に写っている。 更に拡大も可能な画素数なので、当時の町の様子を窺い得る写真である。 
12月 
  ・展示会に参加した方から昭和59年の猿橋架替記録、記念の祭典などの貴重な動画記録が提供された。
   内容を確認し、順次ユーチューブに公開して行く。 猿橋を紹介する動画
11月
  ・鳥沢在住の網野良男氏から興味深い写真などの史料提供があったので、網野氏提供史料のページを新設し、
   掲載した。
  ・道行く人々に親しまれていた「水明楼の大時計」が展示された。水明楼参照
  ・猿橋史談会の活動状況と、「猿橋アーカイブス展示会」が行われる事が山梨日々新聞に掲載された。
      山梨日々新聞(11/21)記事
  ・11月22〜24日に開催される猿橋文化祭に猿橋史談会も参加し、これまで収集した史料類を展示し、講演会も行う
   予定。
   多数ご参加下さい。詳細はこちら
  ・昭和30年当時の横町、仲町、寿町の家並図を更新した。 昭和30年の町並
10月
  ・小俣敏彦さんから、猿橋に関する文献、写真集などの提供がありました。  小俣コレクション参照
  ・10月18日の例会で、来たる11月22日から3日間開催される猿橋文化祭(@猿橋公民館)に古地図、古写真を
   出展することになりました。 
   是非ご覧の上、御宅に古地図、古写真、古文書などがあったらご提供下さい。  
  ・元禄16年(1703)の大地震で伊良原の桂川沿いの田畑が崩壊する被害があったという記録(元禄地震)を紹介する。
  ・小俣コレクションに新たな浮世絵作品などを掲載した。 新たな展示
9月
  ・国会図書館蔵書の昭和59年猿橋架替修理報告書(大月市)を参照し、
    ・江戸時代からの架替の歴史とその記録を「架替の記録」に紹介
    ・「嘉永の架替」を新設 
    ・猿橋架替工事中、迂回路としてお宮川原の直ぐ下流に仮橋(土橋)を設置していた事がわかり、その位置、構造などを
     「仮橋」に紹介した。
8月
  ・北都留郡甲斐絹同業組合の内容、規約を更新した。
  ・出世太神宮の由緒を更新   
7月
  ・「大日本国防婦人会猿橋町分会」の会報という珍しい史料提供(天野和美さん)があったので掲載した。
  昭和39年(1964)東京オリンピックの開会式が間近に迫った10月7日、聖火リレーが猿橋を通過した。
   多くの高校生、中学生が参加しての聖火リレー、その中継所や走者の写真、名簿が集まったので
   「オリンピック聖火リレー」を新設した。
  ・
大正期、郡内最大の企業で、猿橋に本社があった都留電灯株式会社の登記簿謄本を入手したので、会社の概要
   を紹介する。 本社所在地については意外な変遷があった。
  
・小俣敏彦コレクションの絵画館に新しい資料の提供があった。解説などは編集中であるが、とりあえず公開します。
6月
  
・猿橋宿に泊った近藤勇率いる甲陽鎮撫隊は、官軍が勝沼辺まで達している情報を得てたことを聞き勝沼へ急行。
   しかし戦い利あらず敗走となった事情を解説する番組の一部抜粋。
  ・昭和27年、猿橋架橋を祝った山王祭の動画を下記架け替え記録動画から抽出しました。
     山王祭 昭和27年
   横町通りを練り歩く神輿の後に懐かしい「橋映」の建物が見えます。
  ・昭和27年の架け替え工事に必要な材木を秋田県で伐り出すところからの記録映画(DVD)を小俣さんから提供されました。
   フォーマットを変換してユーチューブでも見られるようにしました。一度ご覧下さい。懐かしい人々がたくさん見えます。
        動画  昭和27年 架け替え工事 (ご使用にブラウザの更新を要求される場合があります。)
5月以前
  ・昭和32年と34年に猿橋小学校学芸会で上演された「勧進帳」の台本と写真が提供された。学芸会 勧進帳
  ・昭和15年の猿橋大火について新聞記事から全焼・半焼・破壊消防となった家屋を地図上にプロットして猿橋大火の
   延焼区域を特定する作業をしている仁科喬夫さんの中間報告をまとめた。  猿橋大火 参照
    ・小俣敏彦さんから大量の絵葉書コレクション資料の提供があったので「小俣コレクション館」を新設し、ここに収録した。
    ・大黒屋旅館の外国人向けメニューの写真の提供があったので「小俣コレクション館」に掲載した。
  ・大野博巳さん提供の大月市制50周年記念誌「時をつなぐ街」より猿橋関係の写真を抜粋収録した。「時をつなぐ街」
  ・明治中期に作成されたと考えられる公図(猿橋主要部)掲載した。古い公図
  ・猿橋の思い出「ロードレース」の項目、勘違いを指摘されたので訂正した。
   また、懐かしい「六本松」の写真を入手したので掲載した。
  ・国定忠治が猿橋から桂川へ飛び込んだという伝承は講談から?  国定忠治と猿橋
  ・明治天皇山梨県行幸に随行した宮内省文学掛学者の随行記のうち猿橋の部分の解読を試みた。
           行幸随行記
  ・横浜市在住で小倉出身の天野(旧姓安藤)和美さんから貴重な史料提供があった。 天野さん提供史料
  ・「あの店この店小史」に梅沢薬局を追加。
  ・七保道での古いスナップ写真を掲載した。 七保道と霞町の袋小路
  ・白猿座で行われた学芸会のスナップ写真を掲載した。 学芸会写真集
  ・猿橋に鉱山があったという話を聞いたので調べた結果をまとめた。 猿橋鉱山
  ・大原村消防組を更新しました。
  ・「大黒屋会談」日立創業前夜
  ・仁科義民氏のアルバムから @ A 公開
  ・白猿座焼失の時の資料(田中清貴さん提供)をもとに白猿座を更新
  ・幼稚園閉園記念行事に俳優として活躍している卒園生2人が出演。 猿橋幼稚園
  ・田中清貴さん入手の猿橋大火の新聞記事を掲載した。     火災
  ・猿橋にあったカフェや料理屋のマッチ箱ラベルの蒐集を紹介  
                             マッチ箱のラベル蒐集
  ・新選組勝沼戦争の史料追加  ・新選組も官軍も宿泊した猿橋宿
  ・昭和57年,読売新聞に連載された「ふるさと再見 猿橋物語」を収録した。
  ・仁科義民氏の提供により仁科義比古「猿橋年表并雑纂」を新設
     ・明治年間の架替工事  新設
     ・昭和27年の架替工事 新設
     ・山王社の猿像由緒 新設
     ・猿橋幼稚園の歴史 新設
  ・仁科義男(義比古)氏編集の「甲斐の猿橋」を紹介  


・猿橋幼稚園を訪問、元園長仁科義民氏の御夫君仁科義比古氏の著作物を見せていただいた。
 このうち「猿橋年表并雑纂」というスクラップブックをお借りしてPDFで保存することにした。
  ・昭和27年の掛替工事 を新設
 
 ・山王社の猿像由緒
 を新設 

・仁科喬男さんの情報により猿橋大火の記事を更新。 災害の歴史  火災

・仁科義民さんの協力を得て「猿橋幼稚園の歴史」を新設

・仁科義男(義比古)氏編集の「甲斐の猿橋」(国立国会図書館 蔵)を紹介

・一杉進さんから情報提供があったので第十銀行猿橋支店を更新した。

9月9日の集会に参加された大月市観光ボランティアガイドの鈴木きぬ江さんから貴重な史料の提供があった。 鈴木きぬ江さん提供資料参照

・伊藤征雄さんから、猿橋小学校の歴史に関する史料提供があったので、更新した。 
 
明治中期、関屋にあったとされる猿橋尋常小学校の所在地を検証した。また一時、八百六さんのあたりに小学校があった事もわかった。
 
珍しい写真満載である。

霞町の遠山歯科の西側に行き止まりとなっている旧街道の名残がある。現地を取材したので霞町の袋小路に紹介する。

江戸時代から現代まで続いた猿橋の運送業者の変遷について紹介する。

・水越孝之氏から提供があった大正期の町並図のうち、横町にはもうひとつのバージョンがあったので紹介する。

・昭和7年の新猿橋架橋前に内務省が猿橋近辺の実測平面図を作成していることがわかった。
 新猿橋架橋で猿橋警察署などの既存の施設、建物がどのような影響を受けたかを知る良い史料なので「新猿橋」で紹介する。

・甲州で唯一の戊辰戦争である「勝沼戦争」で勝利した板垣退助率いる官軍が猿橋宿に宿泊したことを示す古文書
 (伊藤征夫氏所蔵)の提供があった。
 大変興味ある内容で、本陣、脇本陣以外の猿橋宿の旅籠屋の名前を知ることができる。同じく新撰組の動きと合わせて紹介する。
     官軍の宿泊記録

・国立国会図書館に、猿橋尋常高等小学校編による昭和10年の「学校経営の現状」と「猿橋町の町勢」に関する冊子が所蔵されていた。
 猿橋小学校創立直後は心月寺に、その後関屋の奈良五右衛門宅を仮用、小柳の校舎完成は明治37年だったという。
  昭和前期の猿橋と「猿橋小学校」参照。

・猿橋宿の本陣の所在地については二説があり、はっきりしなかったが、今回、藤本紘氏所蔵の明治初期土地絵図(公図)
 および水越孝之氏所蔵の明治期、大正期の猿橋絵図を見せていただき、本陣、脇本陣所在地の検証を試みた。
 実は二説とも正しく、幕末に起きた意外な騒動が本陣の移動に大きく影響していた事がわかった。猿橋宿本陣所在地検証
     
・水越孝之氏所蔵の明治期の猿橋の町並図をご提供いただきましたので取敢えずpdfで掲載しました。明治町並図

・水嶋義雄氏作成の「大正初期の猿橋町並図」(水越孝之氏所蔵)をpdfで掲載しました。大正初期の町並図


・最近入手した史料、絵図から新猿橋架橋前の猿橋北詰の地形を検証しました。